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第9部・職場の備え(4完)地域貢献/従業員が誘導、住民救う

ヤヨイ食品の従業員の誘導を受けながら避難する住民たち(イラスト・栗城みちの)
津波避難ビルとなった大興水産の新社屋

 災害発生時、企業は地域の一員として何ができるのか。東日本大震災では、住民を救った企業があった。

 あの日、気仙沼市浜町のヤヨイ食品気仙沼工場には、地震発生後すぐに、近隣住民らが続々と集まってきた。

 3階建て高さ13メートルの工場は、地域の津波避難場所だった。「3階に上がってください」。従業員らは住民に呼び掛け、素早く誘導を開始した。

 近隣住民の多くはお年寄りだ。従業員は歩行困難なお年寄りの手を引いて階段を上った。寝たきりの女性は、担架に乗せて運び上げた。

 午後3時すぎには、住民40人の避難が完了した。約30分後、目の前の漁港を越えた津波が建物2階部分まで押し寄せたが、全員、助かった。

 ヤヨイ食品の工場周辺は準工業地域で、工場と民家が混在する。排気や騒音の苦情を受けることもあった。同社は2004年、地域との共生策として、工場を津波避難場所として開放。近隣の3自治会と合同での避難訓練も始め、毎回50人以上の住民が参加した。若手従業員で「サポート隊」を結成、車いす使用者の避難介助も訓練した。

 震災当日、避難誘導に当たった総務課の村上れい子さん(41)は「訓練に参加していた住民が多く、落ち着いて行動していた」と振り返る。同社製品の焼きおにぎりを配って夜を明かし、翌日は高台の避難所まで、従業員らががれきをかき分け住民を誘導した。

 現在、市内の仮設住宅に住む無職後藤市朗さん(58)は、ヤヨイ食品に避難した一人。何度か訓練に参加しており、迷わず駆け込んだ。「自宅は全壊した。助かったのはヤヨイのおかげだ」と感謝する。

 要援護者の避難にも、企業の従業員は貴重な戦力になった。

 陸前高田市のみそ・しょうゆ醸造の老舗八木沢商店の専務だった河野通洋さん(40)=現社長=は、激しい揺れに「確実に津波が来る」と直感した。

 従業員の点呼を取り、裏山の諏訪神社への避難を指示。河野さんや従業員は近所のお年寄りに声を掛け、手を引いたり、おぶったりして階段を上った。境内には100人近くが避難した。

 午後3時半ごろ。気仙川の水があふれ、工場や店舗が水にのまれた。水位が上がる。「ここも危ない、上に行くべ」。河野さんは呼び掛けた。従業員20人は、高齢者の手を引いて神社裏の急斜面を上った。津波は境内の手前で止まったが、最善策を考え、実行した。翌日は従業員らが介助し、避難所まで誘導した。

 昨年10月、市内陸部に本社を再建した。河野さんは「災害時は避難所として開放することも含め、新たな防災対策も検討する」と話す。

◎避難に社屋開放も/住民との訓練、継続重要

 東日本大震災の被害を教訓に、新たな地域防災に取り組む企業がある。

 石巻漁港の水産加工団地では震災当時、立地する207社の従業員の多くが、車で内陸の自宅を目指し、渋滞や津波に巻き込まれた。教訓を生かすために、水産加工会社「大興水産」は、昨年11月の業務再開に合わせ、新社屋の3階(高さ15メートル)と屋上(20メートル)に避難スペースを設けた。

 社屋は耐久性に優れた重量鉄骨で建築。従業員は約50人だが、避難スペースは1100人を収容できる。市認定の津波避難ビルの民間第1号となった。「従業員はもちろん、一人でも多くの命を救いたい」。取締役の武秀也さん(55)は言う。

 武さんも震災時、車で帰る途中で渋滞に遭った。たまたま開放された学校の校庭に車を止め、自宅近くまで来た時、背後に津波が迫った。必死に走り、自宅2階に駆け上がった。大興水産の社員に犠牲者はいなかったが、間一髪で助かったのは武さんだけではない。

 いつでも避難できるように、屋上への外階段は常に開放している。発電機、食料なども備蓄する。中小企業にとって、負担は決して軽くない。武さんは言う。「水産業は市場や資材業、運送業など、たくさんの人の協力があって成り立つ。自社だけでなく、周辺の人たちも安心して働ける環境があってこそ、水産業の復興が進む」

 1995年1月17日に発生した阪神大震災から間もなく19年。震災を契機に、地域防災をけん引する企業がある。

 神戸市長田区の工業用ベルト製造「三ツ星ベルト」は震災発生後、夜勤の従業員ら60人が、周辺の火災の初期消火に奔走した。地域は大規模な焼失を免れた。会社の体育館では、避難した住民400人を4カ月近く受け入れた。

 震災の経験や教訓を継承しようと、1月17日を「三ツ星ベルト防災の日」と決め、毎年、その前後に住民を巻き込んだ防災訓練を実施。地域の子どもたちの小学校入学祝いのイベントも毎年開催し、住民と顔の見える関係ができている。

 退職や異動などで、震災当時を知る社員は年々減っている。風化を防ぐため、社内では毎月1回、避難訓練をする。

 防災・減災を経営理念の柱に据える意義について、同社の総務部長兼神戸事業所長の保井剛太郎さん(62)は「備えに継続して取り組むことは、企業の信用につながるほか、社員教育にも役立つ」と説明する。

 地域防災の一翼を担う被災地の企業にも、息長い取り組みが求められている。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_04.html

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