仙台市若林区沖野の主婦山田はるみさん(69)は東日本大震災で父遠藤源右衛門さん=当時(91)=と兄の寿一さん=同(67)=を亡くした。父は宮城野区岡田の実家に在宅中、兄は地区内にあった自宅近くで自転車に乗って避難中、それぞれ津波にのまれたとみられる。
仕事熱心な父だった。源右衛門さんは岡田地区の農家に生まれ、中学を卒業と同時に家業を継いだ。
「人間、動かないと駄目だ」が口癖だった。72歳の時、胃がんの手術で胃を全部摘出したが、わずか1年足らずで畑に戻り家族に心配を掛けた。亡くなるまでコメや大根を大事に育てた。
寡黙な人。子どものころは面と向かって褒められた記憶がほぼない。ただ、中学・高校時代、書道部で文化祭用に書いた作品を毎年、床の間に飾ってくれた。来客が作品を褒めると「いやいや」と謙遜しつつ、うれしそうに笑った。「直接言われなくても、愛されているのはよく分かった」
寿一さんは土木作業員として働きながら、農繁期には早朝や休日に時間をつくり、実家の農作業を手伝った。父が足を悪くすると、買い物など身の回りの世話をした親孝行者だった。
山田さんの中高生時代、通学のバスが雪で運休になると、仕事で忙しい両親に代わり耕運機で最寄り駅まで送迎してくれた。今でも雪の日は背中を思い出す。「笑顔を絶やさない優しい兄ちゃん」だった。
震災発生から数日して岡田地区に入り、一変した姿に絶望した。実家も兄の自宅も津波に流され、住宅の基礎が残るだけだった。がれきが散乱し、流された松の大木が道をふさぐ。2人を捜せる状態でなかった。
対面できたのはその翌日か翌々日だったと記憶している。宮城県利府町の県総合運動公園(グランディ21)の遺体安置所。多くの亡きがらが並ぶ中、変わり果てた2人を受け入れる以外になかった。「悲しいというよりも、ひたすらつらかった」と振り返る。
山田さんは2013年から地元の若林地区婦人防火クラブで会長を務める。メンバーと手分けして区内の小学校を訪問し、児童たちに地震が起きたときの身の守り方を熱心に教える。
「8年10カ月がたった今も父と兄の死はつらい。自分と同じ思いを次の世代にはさせたくない」。生き残った自分に何ができるのかと自問自答を続ける。「天国で2人が見守っている」。そう思うことで、前を向くことができる。
(報道部・石川遥一朗)
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