東日本大震災が発生した2011年3月11日の夜は空一面に星があふれていた。大規模停電で街の灯が消えたためだ。
宮城県庁は違った。非常用電源で照明が維持され、ひときわ明るかった。庁議室では断続的に県災害対策本部会議が開かれた。
午後7時半に始まった第3回会議。危機管理監小野寺好男が「市町村から被害状況がまだ入っていません」と伝えた。
「えっ、何が?」。本部長の知事村井嘉浩が思わず聞き返した。震災発生から間もなく5時間。情報ゼロとはどういうことか。小野寺は「鋭意、連絡を取っています」とだけ答えた。
救助や復旧の司令塔として対策を考えるにも肝心の被害状況がつかめない。庁議室に焦燥感が漂った。
「間もなく政府の調査団が到着します。その際…」。村井が部局長への指示を言いかけた時、携帯電話の警報音が一斉に鳴り出した。緊急地震速報。すぐに少し強い揺れがあり「落ち着いて行動してください」と庁内アナウンスが流れた。
震災直後は強い余震が続いた。そのたびに本部会議は中断を余儀なくされ、いら立ちに拍車を掛けた。
「人が流された、取り残されたという情報が多数」「仙石線の車両が(東松島市の)野蒜付近で連絡が取れない状況」「気仙沼市内は大火災。家屋の倒壊も多数。かなり壊滅的」
県警本部長竹内直人の状況報告も深刻さを増した。
「県の防災ヘリコプターですが、(仙台市若林区)荒浜で待機していましたが、連絡では水没したと…」
小野寺の報告に驚いた出席者の1人が「ヘリが?」と言葉を発した。事実なら救助の要を失う。小野寺は「ええ、県のヘリです」と話し「管理事務所の職員と連絡が取れません」と続けた。
闇に包まれた被災地で今、一体、何が起きているのか。長く、もどかしい夜の始まりだった。
県庁に到着した政府の調査団は、午後10時半の第4回本部会議から加わった。
冒頭、防災担当の内閣府副大臣東祥三は「最も大事なことは命をどれだけ救えるか。この一両日が勝負だと思っている」と語った。
本部会議は改めて人命救助を優先する方針を確認した。だが、続く部局長の状況報告は、それとは裏腹に暗たんたる内容ばかりだった。
「気仙沼向洋高は4階まで浸水」「石巻市門脇小は全焼したもようだ」。想像を超える被害に庁議室のあちこちから「はあー」「ああっ」とため息が漏れた。
そして、竹内の未確認情報に出席者は凍り付いた。
「仙台市若林区荒浜新1、2丁目の住宅地の家屋が土台を残してほとんど流されたもよう。大変残念なことですが、溺死体が200~300という状況です」
(敬称略、肩書は当時)
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