「仙台市若林区荒浜で200~300人の遺体」
2011年3月11日の深夜、第4回の宮城県災害対策本部会議で県警本部長竹内直人が報告した情報は、衝撃のニュースとして瞬く間に全国を駆け巡った。
県警に殺到した未確認情報の一つだった。12日午前5時の第5回本部会議で、危機管理監小野寺好男は「詳細の報告はまだありません」と打ち消しに追われた。
後に判明するが、東日本大震災の津波で犠牲になった荒浜地区の住民は約180人。情報が入り乱れ、混乱を極める中、正確な状況把握の難しさを物語るエピソードの一つだ。
窓の外がうっすら明るくなり始め、震災2日目の朝が来た。竹内は第5回会議で出席者の覚悟を問うように、こう切り出した。
「おそらく朝、明るくなって(捜索)作業を始めると、残念ながら、かなりのご遺体が発見されることになる。数百、千単位の収容場所が複数必要だろう」
1995年の阪神・淡路大震災の教訓として、最悪を想定すべきだと訴えた。数字は「大きく構える」ために言及したが、状況が明らかになるにつれ、決して大げさではないと分かった。
本部長の知事村井嘉浩は会議後、内閣府副大臣東祥三とヘリコプターに乗り込み、沿岸部などの被災状況を上空から視察した。
12日午前10時半に招集された第6回本部会議。村井は目に焼き付けた県土の惨状を率直に話した。
「もう、想像を絶する被害です。高台以外は全滅と言っていい状況。おそらく役場がほとんど機能しません。県が人を出さないと全く動かないと思います」
災害対応の最前線に立つはずの基礎自治体が、被災の当事者になった。想定していた指揮系統が全く役に立たなかった。
「市役所、役場とは皆、連絡が取れたの?」。村井は気掛かりだった点を小野寺に尋ねた。既に震災発生から20時間がたつ。「南三陸町はまだ全く。女川町は一部」と小野寺。不安が膨らんだ。
女川町の詳しい状況は、12日夜に初めてもたらされた。地元県議が届けた「情報メモ」が頼りになった。多数の避難者と孤立する集落が出ていた。
震災3日目。13日午後1時半に始まった第10回本部会議は、おびただしい数の遺体収容が議題となった。装備、資機材、検視の医師、収容場所…。何もかもが不足していた。
竹内は「現場の正直な感想として(遺体が)万人単位に及ぶことは、ほぼ間違いない」と踏み込んだ。村井も「私も万単位になると思います」と追認した。
「犠牲者は万単位」。衝撃のニュースが再び全国を駆け巡ることになる。
(敬称略、肩書は当時)
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