2011年3月13日、東日本大震災3日目。宮城県内は二つの深刻な危機に直面した。燃料と水・食料が圧倒的に足りなかった。
仙台港にある東北唯一の製油所が炎上し、多数のタンクローリーが津波で流された。道路や鉄路は寸断され、物流が途絶えた。
午後1時半の第10回県災害対策本部会議。経済商工観光部長河端章好が「ガソリンと灯油の要望が殺到している」と悲鳴を上げた。
水・食料も県内全域で不足した。被災地は特にひどく、河端は「県の石巻合同庁舎は全くない。避難者の体力も限界寸前とのこと」と切迫した状況を伝えた。
各地のガソリンスタンドは軒並み閉鎖され、辛うじて営業を再開したスタンドに車が押し寄せた。
燃料不足は救助や捜索に当たる緊急車両も例外ではなかった。「このままじゃ、何もできなくなる」。本部長の知事村井嘉浩は機能不全に陥る事態を危惧した。
スタンドの地下タンクには一定の燃料が残っていたが、電気が通じず、くみ上げることができない。
「ストックはあるんですよ。電気さえ通じれば…。電力で、もっと気を使ってもらえるとありがたい」
村井の補佐に徹し、発言が少なかった副知事三浦秀一が、東北電力の担当者に珍しく気色ばんだ。懸命な復旧作業を知りつつも、いら立ちが口を突いて出た。
13日午後8時に始まった第11回本部会議。危機管理監小野寺好男は、今すぐ60万リットルの燃料調達が必要と訴えた。村井が「60万リットルないと、どうなる?」と尋ねると、小野寺は「明日中に病院などがショートします」と冷静に告げた。
切羽詰まった状態は食料不足も同じだった。政府や自衛隊、民間支援を頼りに調達を続けたが、追い付かない。孤立集落や離島などには全く行き渡らず、命の危険にさらされた。
「宮城県民全体が食料不足になっている状態だ」
震災4日目、14日午前9時の第12回本部会議で、村井は危機を宣言した。「われわれも食べてないが、県民は234万人もいる。1食を届けるにも234万食が必要だ」と頭を抱えた。
その後、食料と水の供給は徐々に改善されたが、燃料の危機は長引いた。太平洋沿岸の石油関連施設が軒並み被災し、西日本などから調達するしかなかった。
震災5日目、一筋の光明が差した。仙台港の製油所火災がようやく鎮火した。村井は15日午後6時の第15回本部会議で「何とかタンクは生きていた。量は限られるが、燃料供給できる」と明るい声で報告した。
18日にはガソリンと軽油を積んだ「石油列車」が東北に向けて出発し、緊迫した状態は次第に解消された。村井は同日、記者会見を開き「燃料調達にめどが立った」と安心宣言した。
だが、燃料不足が完全に解消されるまでにはさらに時間を要することになる。
(敬称略、肩書は当時)
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