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津波の跡で 災害危険区域3167㌶―可住の境界(1)重い線引き 安全と土地利用

災害危険区域の境界になった高盛り土道路「門脇流留線」。道路より海側(手前)に住宅はない=石巻市大街道南4丁目

 災害危険区域の境界が、東日本大震災で被災した石巻地方の被災者の生活再建を大きく左右した。現地に残るか、内陸に移るか。住民の希望が混在する中で、「可住」と「非可住」の線が引かれた。区域を設定した自治体や境界の内と外で交錯する被災者の思いを探った。(「津波の跡で」取材班)=第2部は4回続き

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 周辺より高く盛り土された道路や緑地が、災害危険区域の境界になった。

 石巻市の市街地では一線堤の海岸防潮堤に加え、二線堤の高盛り土道路などが整備された。二線堤の海側を危険区域に設定し、内陸側は震災の津波で大きな被害があった地域でも区域から外した。

<支援なく反発>

 津波で浸水はしても、直接的な住宅被害はないと想定。避難道路も整備することで居住可能とした。平地が広がる市街地は内陸深くまで津波が侵入した。浸水想定域を危険区域にすれば、範囲が広くなりすぎる。

 住宅が全壊しても危険区域から外れた被災者らからは反発もあった。防災集団移転促進事業の対象となり、手厚い支援があった区域内に比べ、区域指定した2012年12月時点では、区域外の住宅再建には支援策がなかった。

 市の担当者は「『なぜ自分たちの土地だけ差をつけるのか』と言う声もあった。県が整備する高盛り土道路の敷地範囲もなかなか決まらず、大変な作業だった」と振り返る。

 女川町は中心部を1・5~18メートルかさ上げし、住宅は震災と同程度の津波でも浸水しない高台に移転した。それより低い土地を主に危険区域とし、商業地や工業地を配置した。

 震災前はリアス海岸と山に囲まれたわずかな平地に住宅が建ち、市街地を形成していた。町建設課の担当者は「危険区域も全体をかさ上げすることでリスクを減らし、女川駅周辺にコンパクトに街をつくった」と説明する。

<歴史を忘れず>

 半島部では両市町とも震災の浸水範囲を危険区域に設定した。被災者からは居住制限の解除を求める声も根強いが、各市町は「危険区域を変更する予定はない」と口をそろえる。三陸沿岸は過去の津波でも高台に移転し、時間の経過とともに利便性を求めて低地に戻った。石巻市の担当者は「歴史を繰り返してはいけない」と強調する。

 女川町は19年12月、町中心部の住所表記を変更し、地名で津波の危険性が分かるようにした。5地区では新たに「丁目」を設け、可住地域を1丁目、危険区域内を2丁目に統一した。

 町建設課は「時間がたつと人は津波のことを忘れてしまう。危険がある場所だということを地名で後世に伝えたい」と話す。

【石巻地方2市1町の災害危険区域設定基準】
石巻市市街地 津波シミュレーション(二線堤より海側)
石巻市半島部 震災の津波の浸水区域
東松島市   津波シミュレーション(区域内の規制を3段階に区分)
女川町中心部 津波シミュレーション(主にかさ上げ後の海抜18メートル未満)
女川町半島部 震災の津波の浸水区域

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