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津波の跡で 災害危険区域3167㌶―可住の境界(2)移る、残る 思い混在

漁業関係の作業場や資材置き場が点在する石巻市小渕浜地区の住宅跡地(手前)

 牡鹿半島の浜々は東日本大震災の津波で集落跡地の大半が災害危険区域になった。限られた平地でもある住宅跡には、住民のさまざまな思いが混在する。

 二つの港に面した石巻市小渕浜地区は、港と港の間に住宅が密集していた。ワカメやカキの養殖が盛んな浜の集落跡には、作業場や資材置き場の建物が点在し、漁業者らがせわしなく行き交う。

<今も営みの場>

 「あの津波を見たら元の場所に住めるとは思わなかった」。ワカメ養殖を営む木村和男さん(40)は、沖出しした漁船で津波に遭った。自宅は流失し、集落近くの山を切り開いて造成された団地に移転した。

 自宅があった場所には作業場を建て、ワカメの芯抜き作業などで活用する。震災前は同じ敷地内だった住まいと離れはしたが、「不便さは特に感じない」。今も営みの場であることは変わらない。

 港の目の前には、防潮堤の上から2階部分が顔を出したように建つ家がある。漁師の阿部幸弘さん(69)は被災した自宅を修繕し、住み続ける道を選んだ。

 津波は2階まで押し寄せ、1階部分は骨組みだけになった。震災の13年前、生まれ育った土地に新築した自宅だ。「子どもたちが幼少期を過ごした家。手放したくなかった」。家族には反対されたが、一帯が危険区域に入っても高台に移る気にはなれなかった。

<建築制限が壁>

 震災で世帯数が減った浜では、更地のままの集落跡にもどかしさを募らせる住民もいる。宅地として移住者の受け皿にしたいが、危険区域の建築制限が立ちはだかる。

 同市桃浦地区は震災前、約70戸180人が暮らした。高台移転を希望する世帯が当初は24戸あったが、時間の経過とともに集団移転の最少要件の5戸まで減った。残った地区住民は全員が高齢者だ。前行政区長で漁師の甲谷強さん(92)は「漁業の後継者も少なく、このままでは地区が存続できない」と案じる。

 漁業の担い手を育成して若者の移住を促そうと、浜の生活を体験してもらう漁師学校を2013年から9回開いた。参加者の1人が津波を免れた空き家に移住し、もう1人も準備を進めている。

 「桃浦に家を建て、漁業をやりたいという人は他にもいる」と甲谷さん。「危険区域の指定を解除してもらえば、移住者をもっと呼び込める」と訴える。

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