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津波の跡で 災害危険区域3167㌶―可住の境界(3) 残れたけれど、怖さ今も

自宅前で防潮堤とその手前にある二線堤を見る阿部さん。海は目と鼻の先にある

 「いつまた津波が来るか分からない。移れるなら他の地域に移りたい」。石巻市松原町の行政区長を務める阿部和夫さん(73)が防潮堤を眺めてつぶやいた。自宅と海岸との距離は約200メートルしかない。

 同地区は東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた。周辺では高さ約7・2メートルの防潮堤と二線堤として約4・5メートルの防災緑地が整備された。二線堤の背後地にある地区は「可住」地域と判断され、災害危険区域から外れた。

<二線堤に疑念>

 震災前は約240世帯あったが、現在も残るのは約40世帯。阿部さんは全壊した自宅をリフォームし、家族で暮らす。「津波を恐れて戻らない人が多い。危険区域に入り、土地を買い取ってもらえれば移転もできた」と嘆いた。

 市は多重防御による津波の減勢・減災を掲げる。しかし、阿部さん方の正面部分の防潮堤と二線堤の間隔は約1メートルしかない。津波シミュレーションの結果で効果を説明されたが、疑念は消えなかった。阿部さんは「もっと内陸に二線堤を作れなかったのか」と憤る。

 松原町と同様に、津波でほとんどの建物が全壊した同市門脇町も大半が危険区域から外れた。

 日和山のふもとに暮らす元町内会長の高橋興治さん(82)は、自宅の1階部分が約2メートル浸水したが、流失は免れた。祖父の代から暮らす土地への思い入れは深い。自宅を修繕して家族で住み続けるが、津波への不安はある。少しでも浸水を防ごうと、自宅の周りには高さ約2メートルの塀を建てた。

 新たな市街地を形成する土地区画整理事業の工事は2018年8月に完了したが、人口は震災前の3割に届かない。高橋さんは「買い物に苦労するし、津波の不安もある。戻らない人の気持ちも分かる」と語った。

<消えない思い>

 門脇町で約40年間、中華料理店を営んでいた尾形勝寿さん(76)は、妻のきみ子さん=当時(59)=が行方不明になり、店舗兼自宅は流失した。

 震災後は焼きそばの移動販売で生計を立てたが、復興イベントの減少で徐々に売り上げが減った。土地の売却を余儀なくされ、門脇町に戻ることを諦めた。

 空き区画が目立つ地区の現状をみると、店舗を再建しても経営は難しかったかもしれない。それでも、妻と共に店を切り盛りした土地への思いは消えない。尾形さんは「戻りたいと思いながら、10年がたってしまった」とうつむいた。

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