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3.11から 私の10年(21) 石巻市・西野嘉一さん

小学生や若者が避難し助かった駅舎の屋根を指さす西野さん

 2011年の東日本大震災から丸10年。石巻かほくは11年6月11日から12年3月9日まで、被災体験を克明に記録した「私の3.11」を連載した。当時の巨大地震と津波を証言した石巻地方の被災者たちは、あの日を生き抜いて懸命に歩みを続ける。何を思い今、そして未来へと紡ぐのか。新たな軌跡を証言してもらう。(桜井泉)

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■石巻市小竹浜、民生委員・行政区長 西野嘉一さん(68)

 震災の事は、今でもはっきりと覚えています。JR石巻線渡波駅前にある公衆電話のそばに自家用車を止め、待機していました。まさか、この後に津波で流された車が次々に駅前に向かってくるとは思っていませんでした。

 駅前の道路は数十台の車でふさがり、大量のがれきも散乱。はしごがあったので、小学生や若者を「駅舎の屋根に上れ」と誘導し、他の大人たちと一緒に十数人を避難させました。車で身動きできない高齢者らの救出にも当たりました。

 「あっという間の10年間だった」というのが、正直な感想です。建物は残ったものの、自宅は全壊し、生活再建に時間がかかりました。仕事の合間を縫っての民生委員、行政区長の仕事もあり、無我夢中でした。

 震災では、全国から多くの支援をいただきました。川崎町から定期的に小竹浜に通い、炊き出しやイベントを通して、住民を励ましてくれた温泉旅館経営者や、同じ地名が縁で1000キロ以上も離れた福岡県小竹町からワゴン車で食料を運んでくれた町民有志、役場職員の皆さんなど。

 数え上げたらきりがなく、人の温かさや優しさ、絆を感じずにはいられませんでした。こうした方々との交流が、どんなにわれわれを励ましてくれたことか、この場を借りてお礼を言わせていただきます。

 小竹浜は震災後、20人ほどが古里を離れ、52人になりました。ほぼ半数が70歳以上の高齢者で、1人暮らしも少なくありません。

 こうした人たちをサポートしてくれたのが婦人組織の「ひまわりの会」(阿部明子会長)でした。数カ月にわたる避難生活をはじめ、お茶飲み会などを定期的に開催し、心のケアにも尽力してくれました。

 最近は新型コロナウイルス禍の影響もあり、お茶飲み会は中止を余儀なくされている状況です。早く収束し、また笑い声の絶えないひとときが復活できればと思っています。

 年3回の浜清掃には体の不自由な高齢者らを除き、毎回半数以上の方々が参加します。皆さん、いつまでもきれいな古里でありたいという思いがひしひしと感じ、うれしく思います。民生委員、行政区長は、いつまでやれるか分かりませんが、これからも体の動く限り、頑張っていこうと決めているところです。

<震災そのとき>
 石巻市渡波地区にある勤務先の製氷工場で仕事が一段落し、事務所に戻って休憩に入ろうとしたその時、地震がきた。最初は「ちょっと大きいな。揺れている時間がいつもより長いな」という程度で、深刻には考えていなかった。社長から「早く避難しろ!」と命令があったため、とりあえず駅前に。この後にまさか、津波で流された乗用車から高齢者の救出や避難誘導をするとは思わなかった。

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