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石巻の私設資料館で展示会「日赤従軍看護婦と太平洋戦争」 15日まで

貴重な数々の展示物を紹介する佐々木さん

 石巻市北村の自宅に私設の「平和資料館」を備えている元高校校長の佐々木慶一郎さん(74)方で「日赤従軍看護婦と太平洋戦争」と題した展示会が開かれている。兵士のために殉職するなどした日本赤十字社の従軍看護婦と、新型コロナウイルス感染症対策に尽力する医療従事者の「高い志」に重なる部分が多いことから企画した。佐々木さんは「太平洋戦争開戦から80年。少しでも平和の大切さを伝えられればと思う」と話している。

 日赤救護看護婦(従軍看護婦)の1種制服をはじめ、赤十字の杯やバッグ、軍医少尉の大礼服、軍人記章、薬品箱、野戦用の手術台など貴重な品々が並び、写真や参考資料などを含めると約80点にも及ぶ。

 佐々木さんが日赤関係の資料を集めるようになったのは約20年前から。「終戦後、シベリアに抑留されたおじから衛生兵のかばんを寄贈されたことがきっかけだった」と振り返る。

 悪名高き、当時のソ連でさえ、日赤のマークを付けた兵士、兵隊には、一切手を出さなかったらしく、教育が徹底されていたという。

 佐々木さんは「資料によると、日本赤十字社は1937年9月の日華事変から太平洋戦争にかけて全国から3万5700余人の救護員を派遣し、1118人の従軍看護婦が殉職した」と説明する。日赤宮城支部からも636人が派遣され、17人が若くして殉職。石巻赤十字病院では慰霊碑を建立している。

 佐々木さんは高校教諭時代、現在90歳を超える従軍看護婦だった女性と一緒に勤務していた経験を持つ。45年9月、上海市内の病院で、患者にシラミが寄生し、発疹チフスが発病。コレラ・天然痘の感染症の患者が入院し、病室の確保が困難になったことなどを聞いた。

 別の従軍看護婦の座談会記録からも抜粋。「一番困ったことは火葬場が使えなかったということが強く印象に残っている」と語る。傷病兵が亡くなった後、遺族に遺骨を渡すため、懸命な努力をしたことなども明かした。

 佐々木さんは「感染症も新型コロナに相通ずるものがある。長い歳月が費やされても人の真心は一つ」と力説する。

 展示会は終戦記念日の15日まで。希望者は予約が必要。連絡先は0225(73)4057。

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