いとうせいこう「東北モノローグ」 被災地聞き歩き 第1章(1)

 作家のいとうせいこうさんが東日本大震災の関係者を訪ね、聞き書きをつづる「東北モノローグ」を掲載します。語り手の独白(モノローグ)の形式で描くノンフィクション文学。第1部は、宮城県東松島市出身の津田穂乃果さん(22)の物語です。

東松島市の野蒜海岸(写真映像部・佐々木浩明)

 私は震災の語り部として活動してまして、それも関係あって、畜産大に通ってはいるんですけども、今は卒業研究で語り部の研究をしていて、自分の今までの語りだとか経験というのを振り返る作業もしています。

 私自身は津波を見ていません。家は流されたんですけど、当事者の中でも当事者性は低いと自分では思ってて。つまり自分よりつらい思いをした人もいる中で、なぜ自分が伝えてるのかということに葛藤も感じていて。そんな中、語り部にはなれないけど、語り手になれるという考えが今出てきてて。

 語り部は経験をした人ですね。だけど語り手は、分かりやすいところで言うと、戦争を経験してない高校生とかも今語り始めているんです。そういう人たちは語り手、そういう分類になるのかなと思うんですけど。

 自分たちが永遠にこうして語っていられるわけでもないですし、声なき声というのを届けることとか、それをする人っていうのが重要になってくると思うし、特に自分たちが死んだあとが重要だと思うんですよね。

 はい、伝える人がいないとやっぱり風化はしていくし、東京とかそれこそまったく別の県とかの人の方が逆に意識高い場合があると思うんです。被災地はむしろ、つらい経験を思い出したくなくて語らないことがあるので。

 今生まれてきた子どもたちとか、まだ小さい世代というのがこうやって津波や災害がやって来る場所で生きていくのに、そういう、経験してない人に伝えておくということが私は重要なことなんじゃないかとも思うんですね。語りづらさはあるんですけど、語っておくことは重要だし、やってかなきゃいけないことかなと。

 この活動でお世話になってる斎藤幸男先生という方がいらっしゃって、私が語り部をやってく中で出会った石巻西高校の元校長先生で、今は東北大の非常勤講師をされてる方なんですけど、その斎藤先生も「俺は語り部じゃない、語り手なんだ」って言ってるんですね。でも先生も震災で叔父さんを亡くされてて、震災当時は指定避難所じゃなかった勤務校で避難所運営をしてた方なんで、決して当事者じゃないとは言えないんですが、自分は語り手だと仰ってるんです。ええ、当事者の思いもあって語り部と語り手の区別は決して単純ではないんです。

 ただこれは戦争の語り部、公害の語り部とも同じで、実体験のある人と語り手をつなぐこと自体が、すごく大事なことなんじゃないかなと思うんです。語り部は時間が経つと必ず絶えてしまうから。

 例えばアウシュビッツでも日本人のガイドさんがいるんですよね。つまりその地で生まれてもない方がその地で伝えていく活動をしている。日本だったらちょっと考えられないことですけど、そういう例が世界にはあるそうです。

 私はひいお祖母さん、曽祖母と暮らしていたんですけど、その曽祖母が1960年のチリ地震津波などを経験していて、「地震が来たら津波」と私も小さい頃から教わってたので、だからこそ地震が起きたときもすぐ逃げろという形で私の家は行動していました。そういうことからも、経験を後世に伝えていくのは重要だなと。

 ずっと核家族が増え続けてて、友人とかも曽祖父母と暮らしてなかったりして、親子の間でも会話の時間とかが減ってるからこそ、自分たちは第三者ではありますけど、起きたことの語り手たちが今、逆に求められてるんじゃないかなとも思います。

 あの当日ですか? 大まかに地理的な面から話させてもらうと、私はすごく海に近いところに育って、それこそ200メートルくらいなんですね。松林が広がってたので海は直接見えないんですけど。はい、東松島市です。ブルーインパルスが飛ぶ松島基地の近くで、お祖父ちゃんも船とか持ってたりして、お父さんはサーフィンやったりとか、家族みんなで海と一緒に育ってきたんです。

 あの2011年の3月、私は小学5年生で、小3と小1に弟がいて、私と小1の弟は学校にいました。小3の弟は下校途中だったみたいです。

 地震が来たのが午後2時46分。私は学活、学級活動の時間で、おたのしみ会という学期末にある、みんなで遊ぼうみたいな会でやる出し物をするという名目で「音楽室で練習します」って言って、音楽室でさぼってました。クラスメートのたぶん3分の1くらいはそこにいたと思います。

 そしたら最初はゴォーと音がして、さっきも言ったように基地が近いので、練習で飛ぶんですよね、飛行機が。最初、その音だと思ったんです。でもそのあとですごく低い音がして、そこからドンって下から突き上げるようものが来て、「地震だ!」って。

 そのまま横揺れになって、クラスメートのほとんどは走って音楽室から教室に逃げました。で、逆に揺れてる中で出ていくのは危ないって思った自分たちは、6人か7人残ったんです。うちの小学校の音楽室は机がなかったので、何も落ちてこないような音楽室の真ん中、絨毯だけのところにいたら、そこにオルガンが迫ってきたんですよね。教室の端から動いてきて「これやばい!やばい!」ってなって、私たちはグランドピアノの下に隠れました。

 そしたらグランドピアノはキャスターがついてるので、あれすごく動くんですよね。それを友達とみんなで押さえて。その上に太鼓とかタンバリンとかがんがん落ちてきて「うおお」ってなってるときも、覚えてる会話が、私はガンプラ、つまりガンダムのプラモデル作りが趣味で、シャア専用ズゴックというのを前日に作ってたんで「やばい! ガンプラ、絶対倒れてる!」って。友達は、そのときPSPの時代だったので、「やばっ! PSP充電しっぱだったんだけど! 燃えたらどうしよう!」って言い合って。たぶん友達も私も変な高揚状態になってたんですね。

 こんなこと言ったらあれなんですけど、正直その時は変なワクワク感みたいなのがあって。なんか中二臭いんですけど、それまですごく平凡な日常が続いてて、急に非日常に入れ替わるパターンのやつだって気がして。

 そうこうしてる間に先生が走ってきて、とりあえず無事を確認したかったんだと思うんですけど、入り口から「お前ら、揺れが収まるまでそこにいろ」って声かけてくれて、私たちはそれに返事をして。揺れが収まってからは校庭に避難ということになりました。私、そのときもすごく謎に余裕があって、靴もちゃんと履き替えてるんですよね、後から考えれば。

 いとうせいこうさんの「東北モノローグ」は河出書房新社の季刊文芸誌『文藝』とのコラボレーション企画です。10月7日発売の『文藝』には別の人の物語が掲載されます。

 いとう・せいこう氏 1961年東京都生まれ。早稲田大法学部卒。出版社勤務を経て、作家、クリエイターとしてテレビや映画でも活躍。88年に小説「ノーライフキング」で作家デビュー。「想像ラジオ」で野間文芸新人賞。被災者の聞き書き「福島モノローグ」を今年刊行。日本語ラップミュージックの先駆者としても知られる。

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