いとうせいこう「東北モノローグ」 被災地聞き歩き 第1章(2)

 うちの小学校は親が来た人から先生に報告して一緒に帰るっていう方式をとってて、うちの母が、いつもは絶対ないんですけど、その日たまたま雪が降ってたから小学1年生の弟を迎えに行こうという気持ちになったみたいで、もう来てたんですよね。だから母は学校で地震に遭ったんです。

 それで母は学校の駐車場にいたので、すぐに小1の弟と私を乗せました。そしたら先に帰ってた真ん中の弟が戻ってきたんです。というのもさっきお話しした通り、うちは地震が来たら津波が来るっていうのをずっと教わってきたので、「大きい地震が来たあと、自分がどこまで行ってたらどこに避難する」っていうのを最初から決めてあって、小3の弟はそこの地点より前だったから学校へ戻ったんです。おかげで、姉弟そろって避難出来ました。

 その間、何分くらいでしたかね。自分としてはすごく長い時間に感じたんですけど。それでも津波が来る前ですからすごく迅速に避難したんじゃないかな。その時にはもう電気もたぶん止まってました。あの頃、スマホもなくて情報が取れなくて、お母さんの車のラジオで知ったのが、女川という地域に6メートルの津波が来たという情報で、女川に6メートルだったらうちのところも来るってなったので、そのまま内陸の母方のお祖母さんの家に避難しました。つまり海からより「遠く」に行ったんですよね。

東松島市の野蒜海岸(写真映像部・佐々木浩明)

 適切な判断はたぶん「高く」なんですけど、渋滞にもなってたので、裏道通って内陸側を目指すことになって。その間、けっこう道路とかも盛り上がってるところとかあって、母の車はヴォクシーなんですけど、道路の隆起にそって車が跳ね上がったりする中、お祖母さんの家まで逃げました。

 そっちの家は無事だったので、子ども3人降ろされて、今度はひいお祖母さんが私たちの家にいたので、母は「ぴーちゃん(曽祖母)を連れてくるから」ってすぐそっちに向かって行きました。より海に近い方の家にです。

 一番下の弟は何が起きてるかわからなくてずっと泣いてました。「大丈夫、大丈夫」ってなぐさめながら、3人で何も落ちてこない廊下のところで並んで待ってたら、今度はお父さんが来て「お母さん、どこ行った」って。「浜に帰った。ぴーちゃんたち連れに行った」って言ったら、お父さんはすぐにお母さんを追いかけました。

 まずひいお祖母さんは結果的には、最初にお父さんが避難させてたので無事で。だいぶ話がごちゃごちゃして申し訳ないですけど、家に帰ったお母さんはそこで追いかけてきたお父さんと会って……お父さんは「ひいおばあちゃんは逃がしたから早く逃げろ」って言ってお母さんを逃がして、父は父でそこから祖父母に避難を呼び掛けに、家よりも海側にあって自営業している会社へ向かいました。

東松島市の野蒜海岸(写真映像部・佐々木浩明)

 一方、船を持ってるお祖父ちゃんは最初沖に船を出しに漁港へ向かおうとしたんですけど、その途中で大きい余震が来て、ひいお祖母さんの避難の状況を知りたくて会社に自転車で向かったそうです。

 そこにお父さんが着いたんで「早く逃げろ」ってお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに言って、それでお父さんは私たちのところに帰ってきてくれたんですよ。

 ただその途中で、お父さんの軽トラは津波に後ろから追いかけられたらしいです。だからそのあと、父はお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは死んだと思ってたらしいんですね。

 祖父母2人は会社の中で逃げれなくて、鉄骨の建物の2階……1階はほとんど空洞みたくなっちゃう中で、2階の机の上にいて生き延びました。祖母ちゃん足悪かったし、逃げるために会社を出たとき、じいちゃんが松林を越えてくる黒い波を見たので会社に引き返したらしいです。とはいえ、そういう話も語り部を始めてから、初めて本人たちに聞いて知ったんですけど。

 そもそも聞きにくいことではあるんです。例えばこないだになってお祖母ちゃんが話してくれたのが、「今も後ろの家の子どもが『助けて』って言ってる声が忘れられない」って。その子がどうなったかも分からないし、でも自分らもどうしてあげることもできなかったって。話を聞くと、話す人の中にそういう思い出が出てきちゃうんです。

 で、祖父母は波が引いてから、ナイロンの紐だかを、祖父ちゃんは船乗りだったので縄とかを扱うのが上手いんです。それを強固にしてドアノブに縛って垂らして、波が引いてから祖母ちゃんと1階に下りたみたいです。2日目のことでした。祖父ちゃんは靴もなかったんで軍手を足に履いて、それで歩いて内陸の方のお祖母さんの家まで来たんですね。

 はい、震災当日は机の上で寝たそうです。眠れはしなかったと思いますけど。「近くにあったアパートが流されてきて会社にぶつかってきたら死ぬと思った」って本人たちは言ってましたね。生き延びたのは奇跡でした。

 そういう苦難を私とか弟は知らずに、母方のお祖母さんの家で、電気がない中で家族で固まって過ごして。避難所と違うので毛布とかもある状態で、ただ寝てたっていうだけなんですよね、実際は。だからこそ、語りづらさっていうのがあるんです。果たして自分は当事者なんだろうか、非当事者なんだろうか、と。

(3)に続く
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