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明治の熊本城、石垣に「人が写っている」? 「写真の開祖」が撮影、大きさ比較のため

 熊本城天守閣の3階に展示してある明治初期に撮影された城の写真の石垣に、「人が写っている」との情報が熊本日日新聞「SNSこちら編集局」(S編)に寄せられた。写真を見た熊本市の自営業女性(55)は「最初は見間違いかと思ったけど、やっぱり人が写っているんです。心霊写真ではありませんよ」とのこと。果たして真相は…。

熊本城調査研究センター文化財保護主任主事の木下泰葉さんが指さす先を見ると、小天守の石垣の中ほどに男性の姿が移っている

 記者が天守閣を訪れて確認すると、たしかに小天守の石垣に人影が写っている。展示パネルには「宇土櫓(やぐら)からみた大小天守」(冨重(とみしげ)写真所蔵)=明治8(1875)年撮影=と説明書きがあった。熊本における「写真の開祖」冨重利平(1837~1922年)が撮影した写真を、縦2メートル38センチ、横3メートル24センチの巨大パネルにしたものだ。

 熊本城調査研究センター文化財保護主任主事の木下泰葉(やすは)さん(33)は「これはたしかに男性ですね」と即答。高さ11メートルの石垣の5メートル付近まで登っている男性は、写っている両脚や上着の胸元からして、こちら側を向いているという。

両脚や上着の胸元から正面を向いているとみられる男性。石垣にしがみついているようだ

 撮影された明治8年は、廃刀令や神風連の変の前年だ。センターによると当時、熊本城一帯は明治政府が九州を管轄する熊本鎮台の中枢で、天守閣は2年後の西南戦争開戦の直前に火災で焼失している。

 では石垣を登っているのは誰で、目的は何なのか。

 熊本市中央区にある「冨重写真所」の4代目、冨重清治さん(75)に尋ねると、「(撮影した)利平と行動を共にしていた人力車の車夫です」と教えてくれた。宇土櫓の最上階から撮影する際、熊本城の大きさを分かりやすくするために、あえて人を写り込ませたそうだ。「身長は1メートル60センチくらい、おそらくまげを結っているはずです」と清治さん。熊本城調査研究センターによると同じ男性は、頬当御門(ほほあてごもん)の前から大天守と宇土櫓を撮影した別の写真(冨重写真所蔵)にも写っているという。

明治8年に人力車の車夫が登っていた辺りの石垣を指さす木下さん

 熊本城の石垣は2016年の熊本地震によって至る所で崩落したが、150年近く前に車夫が登った石垣は当時のままという。昭和の終わり頃までは石垣に登って子どもが遊んでいたという話もあるそうだ。

 ただ「安全面と、文化財である石垣が損なわれるのを防ぐため、今は石垣に登ることはできません」と木下さん。離れた場所から石垣を眺めて、当時の車夫の気持ちを想像してみるのもいいかもしれない。(熊本日日新聞・立石真一)

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