書評>「41年目の敵討ち 石巻と久米幸太郎」を読んで ノンフィクション作家・大島幹雄さん
越後新発田藩の久米弥五兵衛が滝沢休右衛門に殺害され、その長男久米幸太郎が成人してから約30年間、虚無僧などに身を変え、諸国を遍歴し、僧となり黙昭と名乗っていた休右衛門をやっと探し出し、牡鹿郡祝田浜で親の敵を討ったという実話は、よく知られている。父の死から41年もたって本懐を果たした、史上2番目に長い敵討ちとなったこの史実を基に、菊池寛が「仇討三態」、長谷川伸も「八十一歳の敵」(「日本敵討ち異相」)という小説を書いている。平成10(1998)年にはNHKの番組「堂々日本史」でも「江戸のおきて・あだ討ちの真実 壮絶 親の敵を40年追った武士」として取り上げられた。
「41年目の敵討ち~石巻と久米幸太郎~」は、この広く知られた敵討ちを石巻郷土史から見直し、真相に迫った力作である。長年郷土史一筋に研究をしてきた阿部和夫氏の郷土史研究の、一つの到達点となった。石巻に伝わる伝承から捉え直し、小説になった敵討ちの真相を郷土史からあぶり出していく、これが一番の読みどころとなっている。親の仇を討つため諸国を回ってきた久米幸太郎が苦労を重ねて本懐を果たすという、講談にもってこいの美談が、敵討ちを果たした側が残した資料と、敵討ちが行われた石巻で語り継がれた伝承が付き合わされていく中で、違う姿をもって立ち現れてくる。
敵討ちを果たした久米幸太郎やそれに関わった藩士たちは、新発田藩に敵討ちを遂げたという報告書を提出していた。菊池寛や長谷川伸が小説を書く時に参照したのは、この文書だった。阿部さんは、前作「戊辰戦争150年間宮城・中津山の侍たち 北越戦争」を書く時に、交流を持った新発田市の歴史研究者からこうした資料を教えてもらい、それを読み解いていく。敵討ちをし、それに助太刀した藩士たちが残した報告書は、自分の行為を正当化するために、事実がゆがめていたのではないか。阿部さんはそれを丁寧に読み、さまざまな文献を突き合わせながら、事実を探っていく。そこで着目したのが、敵討ちが行われた石巻で語り伝えられている伝承だった。そのヒントとなったのは橋本晶氏の論考「祝田浜敵討考」である。ここにこの敵討ちを目撃した地元の老人から聞き取った話がでている。
詳しくは本書を読んでもらいたいのだが、老人はこの敵討ちが報告されていたように、正々堂々としたものではなく、かなり卑劣な手段を講じていたと証言をしている。阿部さんは敵討ちが行われた地域で語り伝えられている話、さらには休之助と縁のある寺に伝わる話を検証していく。そして文献と伝承を交錯させる作業から、ある真実が浮かび上がってくる。文献主体の歴史では見えないことを郷土史によって明らかにしたのである。阿部さんの石巻のことを石巻の人に伝えていきたいという思いがここに実ることになった。
先日行われた私が主催する「石巻学プラスワン」で、ゲスト出演した阿部さんは、本書が多くの人の協力によって生まれたとまず語り、関係者への謝辞を述べていたが、それは橋本晶氏や先人の思いを引き継いでここまでやってきたという郷土史家としての思いがこめられていた。阿部さんはまだまだ調べたいことはたくさんあるし、続けてやっていきたいと力強く抱負を語った。そしてさらに今まで自分たちが引き継いできた石巻の郷土史研究を未来に伝えていかねばならないのではないか、具体的には石巻に千石船の会、石巻若宮丸漂流民の会、石巻アーカイブなど地元の歴史を研究している団体があるのでこれを中心に協議会のようなものをつくったらどうかと提案もされた。
この提案を重く受けとめている。阿部さんが提案されたような協議会をつくり、ここを母胎にして、市民講座を開いていくことを今、真剣に考えている。郷土史の可能性を示した本書は私にとって、今まで伝えられてきた石巻郷土史の伝統を未来に伝えなければならない、そんな思いにも駆り立ててくれた一冊ともなった。
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