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石巻に恋して 新たな文化交流、生みだす 3人の活動紹介

常に愛用のカメラを持ち歩き、街中で面白いと感じたものにレンズを向ける山田さん
再開したカフェ「加非館」で豊かな時間を過ごす。人と人がつながるカフェ文化を愛する和田さん
港町・石巻に根付く文化を調査する臼井さん

 石巻市に移住し活動する人、石巻の魅力を本にして伝える人、港町・石巻に根付く文化を調査する人と、石巻に魅せられた人たちが東日本大震災後の街を活気づけ、新たな文化交流を生みだしている。石巻に恋した人たちを紹介する。

フォトグラファー・山田真優美さん(44)

<移住し7年 アート発信>

 石巻市に移住して7年。きっかけは小さな出合いだった。都内でフォトグラファーとして活動していた2017年夏、目黒であったイベントで目に留まったのが「石巻こけし」だった。

 「奇抜なデザインに、こけしの概念が変わった」

 制作者の林貴俊さん(50)=石巻市=がスタッフを募集しているのを知った。採用は1年間だが迷わず応募。結果、石巻こけしと出合ってから約半年後の18年1月、石巻の地を踏んだ。

 半面、東日本大震災の被災地に来ることに不安があった。「震災当時、時事通信社でアルバイトをしていた。被災地から送られてくる写真を毎日見ていた」

 両親も心配した。実家は香川県善通寺市。地元の大学を出て上京、写真スタジオなどで働いた。14年間過ごした東京を後にして見知らぬ土地に来た。が、案ずるより産むが易しだった。

 「石巻の人たちはみんな親切で受け入れてくれた」

 何より震災後の石巻は、県内外から可能性を求めて集まって来た多彩なアーティストたちの交流・活動の場になっていた。

 「何か創造的なものが生まれる予感に満ちていた」

 自身も刺激を受けた。20年、石巻での2年間を感性で切り取った初の個展を開催、好評を博した。震災後の街並みや日常の光景がレンズを通して新しい意味を持ち、輝いていた。ジャンルの違うアーティストとも意欲的にコラボ、絵画や短歌などとの合同展が再生に向かう街をアートの空気で満たした。

 今は石巻で出会ったパートナーと暮らす。シアターキネマティカ併設カフェのスタッフでもあり、持ち前の明るさで店内を照らす。

■阿波おどり挑戦

 今年の目標は「阿波おどりを覚える」と意外な答えが返ってきた。「川開き祭りのパレードを盛り上げたい」。石巻愛に満ちる。

 カメラだけは常に持ち歩いている。しかもフィルムで撮るカメラ。20年くらい前から愛用し今は2台目。何げない石巻の表情を撮り続ける習慣は変わらない。

石巻に移住して2年目、初の個展「ここから」を開催し、市民の関心を集めた=2020年4月、石巻市中央2丁目のキワマリ荘

エッセイスト・和田敏典さん(65)

<港町の魅力、本で伝える>

 「日和山公園に連れていってもらって見た景色は、私の全く知らない世界だった。海が見えて、船が見えて幸せな気持ちになった」

 山形県長井市生まれ。四方を山に囲まれて育った。結婚した相手が石巻市の女性だった。妻となる女性が最初に案内したのが日和山公園だった。

 景観だけではない。石巻人の人懐っこさ、度量の大きさ、開放的な明るさにも引かれた。「よそ者扱いをしない。昔から知っている人のように受け入れてくれる。すぐ溶け込めた」

 だが、妻を門脇町にある妻の実家に残し単身、長井と石巻を往復する生活が続いた。長井の市職員だったためだ。週末だけ石巻に帰った。東日本大震災が起きた時は職場にいた。映像で目にした門脇町は地震と津波、火災に襲われていた。「電話がつながったのは4日後。家内も養父母も無事だった。安心した」

 震災から1週間後、石巻入りして目にしたのは変わり果てた街の姿だった。

 自分にできることを考えた。「文学的には書けないが」と思いついたのが、今目にしている石巻のことを伝えることだった。市民のオアシスである名所や、生まれ変わる通り、再開したカフェ、震災後に始まった「いしのまき演劇祭」といったイベントを巡り歩いた。57歳で退職。執筆に時間をより充てた。2冊のエッセー集「港の町の散歩道」(2018年)、「港の町は花盛り」(21年)に結実した。

 「再生に向かう港町・石巻の魅力を全国の人に知ってほしかった。石巻の人たちを元気づけたかった」

 挿絵を描いたのは妻の佳子さん(61)。石巻女高(現・石巻好文館高)の美術教師だった故浅井元義さんの教え子で、今はアサイ美術部という名の下で活動している。

■落語で笑いの街に

 次は落語という。「もともと大好きで、山形の川西町で21年前から寄席を開いている。石巻でも仲間と落語家を呼んで、港町を笑いの街にしたい」

 行ったり来たりの人生は続く。

和田さんが石巻について書いたエッセー本「港の町の散歩道」(2018年)と「港の町は花盛り」(21年)

東京科学大・臼井千尋さん(25)

<地域に根付く文化を調査>

 昨年4月から月1回ペースで石巻に来て、1週間ほど滞在し、石巻地域の文化を調べ歩いている。

 「きっかけは4年生の時。卒論にリボーンアート・フェスティバルを書こうと現代アートや食文化、音楽について調査し始めたら、石巻の文化そのものに興味、関心を持つようになった。リボーンアートは東日本大震災後の、外から生まれたイベントだったが、石巻にもともとある文化が影響していることに気づいた」

 それまでは石巻を訪れたこともなかった。東京科学大(旧・東京工大)の真野研究室(真野洋介教授)の一員になったのが縁になった。真野研究室は震災直後から石巻に学生を派遣、街づくりに関わってきた。

 今は修士課程(環境・社会理工学院 建築学系 都市・環境学コース)最後の年で、修士論文のテーマに選んだのが「石巻地域に根付く文化」だった。「映画、音楽、舞台芸術、美術、顕彰・伝承と大きく分けて、それぞれの分野で活動に携わっている人たちに会い、お話を聞いて回っている」

 これまで会ったのは演劇人や映画・音楽関係者、絵画愛好者ら約20人。聞けば聞くほど石巻地域の文化の奥深さ、広さに圧倒されるという。

 「10年に1度のカンタータ(大いなる故郷石巻)があったり、彫刻家の高橋英吉の顕彰を巡る草の根運動があったり、市民の文化に対するエネルギー、情熱がすごい」

 文化は心の財産と言われる。それが震災後、市民の力になってきた。

 「震災が石巻の文化にどんな影響をもたらしたのかも探りたい。震災を乗り越えて継承されている文化があれば、新たに生まれた文化活動もある」

 昨年10月のイベント「石巻学プラスワン」でのトークが参加者の共感を呼んだ。「私の調査を応援してくれているのを感じた。石巻の人たちは優しく温かい」

■修士論文にし発表

 1月中に修士論文をまとめる。4月からは社会人。

 「修士論文はゴールではない。もっともっと石巻の文化について知りたい。これからも石巻とつながっていたい」

高橋英吉の木彫作品の前で学芸員の泉田邦彦さん(右)に質問する臼井さん=2024年9月12日、石巻市博物館

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