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わがこと 防災・減災/第6部・揺れ(中)耐震/強度足りず倒壊、命奪う

健晴君が外に出た直後、激しい揺れに耐えきれなくなった築90年の自宅が倒壊した(イラスト・栗城みちの)
耐震診断のデモンストレーションをする八木山防災連絡会のハウスドクター(右)と高校生=2010年8月、仙台市太白区

 東日本大震災では岩手、宮城、福島3県の内陸部の市町村で計6731戸の住宅が全壊した。余震を含めて大半が地震動によると考えられ、壊れた住宅の下敷きになった犠牲者も各地で出た。

 本震で震度6強を観測した大崎市。古川工高定時制1年だった佐々木健晴君(18)は平屋の寝室にいた。長引く揺れに怖くなり、石油ファンヒーターを消した直後、家全体が激しく揺さぶられた。一瞬、体が宙に浮き、床にたたきつけられた。

 身の危険を感じ、外に出た。以前テレビアンテナを据え付けていた軒先のポールにしがみついた。突き上げるような地面の揺れに、体は飛び上がり、手がポールから何度も引き離された。

 バキバキッ。大きな音とともに自宅が、自分に覆いかぶさるように倒れてきた。居住部分がぺしゃんこになり、屋根がポールにぶつかって止まった。

 しばらくわれを失っていた。ふと、祖父安栄さん=当時(80)=が、居間でテレビを見ていたことに気付いた。居間があった場所に駆け寄った。呼び掛けると「ここだぁ」と返事があった。

 父末治さん(62)が土壁を壊すと、安栄さんは梁(はり)に脚を挟まれていた。近所の人たちが工具を持ち寄り、協力して救い出した。救急車で病院に運んだが、翌日未明に内出血による血圧低下で息を引き取った。

 安栄さんは救出時に鍵を握っていた。震災の1年前まで行政区長だった。避難所となる集会所の鍵を取りに行ったわずかな時間が災いし、逃げ切れなかった。

 自宅が倒壊した理由は幾つもあった。建物は築90年。地面に埋めた玉石に木柱を載せただけの工法だった。壁が少ない一方で、ガラス戸が多かった。屋根もかやぶきの上に瓦状のトタンをかぶせた構造。1981年に強化された国の耐震基準は満たしていない。

 基準は震度6強から7で倒壊せず、人命を守れる強度を求める。家族は誰も耐震基準という言葉を知らなかったという。

 リフォームが話題に上がった際、安栄さんは「家を直しても、もうすぐ起きる宮城県沖地震で壊れる。その後で新築すればいいんだ」と取り合わなかった。

 「まさか地震で家が全壊し、自分が下敷きになるとは思わなかっただろう」。末治さんは嘆く。

 河北新報社の調査では、建物の倒壊による震災の犠牲者は少なくとも12人だった。沿岸部でも津波到達前に犠牲になった例があるとみられる。

 震災の本震は、木造住宅に大きな被害を与える周期の揺れが少なかった。それでも倒壊が続出した事実は、まだまだ耐震化が不十分な現状を物語る。

◎耐震助成、活用鈍く/地域で診断促す動きも

 木造住宅の耐震化は、東日本大震災でも重要性が浮き彫りになった。国は2020年に耐震化率95%という目標を掲げ、地方自治体とともに木造住宅の耐震診断や改修工事を助成する。ただ、施策と住民の動きには大きな隔たりがある。

 全国の耐震化率は08年時点で79%。東北6県は岩手67%、宮城77%、福島76%など、いずれも全国平均を下回っている。

 助成事業は、耐震基準が強化された1981年5月以前に建てられた木造住宅が対象だ。助成額は市町村によって異なり、宮城県内の場合、診断には13万円以上、改修工事には15万円~95万円が支給される。

 問題は、耐震化への関心や助成事業の認知度が低く、制度が十分に活用されていない点だ。宮城県建築士事務所協会などによる震災後の調査では、2011年度に助成事業を活用して耐震診断を受けた人の39%が、震災前は事業を知らなかったと回答した。

 耐震診断士が震災前に改修工事を済ませた130戸の被災状況も調べると、被害が皆無だった住宅は55%に上った。軽い被害は40%。大きな被害も5%あったが、地盤沈下や擁壁崩壊が主な原因で、耐震化の有効性があらためて実証された。

 改修工事の場合は、自己負担が住民の動きを鈍らせる要因になっている。家の状態で差があるが、宮城県の改修工事の相場は100万円~200万円。県建築士事務所協会は「工事費用は高額でも、命を守るために税金から多額の助成が個人の資産に投入される意味は大きい。積極的に活用してほしい」と強調する。

 耐震診断を促し、改修工事につなげる一つの解決策が、地域の防災活動に組み込む方法だ。

 仙台市太白区八木山の八木山防災連絡会は、地区に住む建築士を「ハウスドクター」に任命。八木山中の生徒や地域の住民を対象に、耐震診断の啓発授業を続けるなど、耐震化に力を入れる。

 近くの東北工大高(現仙台城南高)の生徒と、耐震診断のデモンストレーションにも取り組んだ。図面を見ながら、柱と柱の間隔や壁の厚さを計測し、木造住宅などの耐震レベルを確認。危険がある場合、住人に専門家への相談を勧めた。

 09年は、町内会長と太白区役所の担当者らが地区の家々を回り、耐震診断を受けるよう説得する「ローラー作戦」を実施。10年に、約1週間かけて74戸に診断申込書を配ったところ、6戸が直後に申し込んだ。

 作戦をきっかけに診断と改修工事を受けた結果、震災で無傷だった住宅もある。連絡会副会長の斎藤満男さん(74)は「顔見知りの私たちが一緒に考え、行動すれば、住民も一歩を踏み出す。子どもたちへの啓発は、家庭での防災意識の向上にもつながる」と語る。

◎開かないドア、対策を

 大震災では、耐震化の進んだマンションの多くが倒壊を免れた一方、長時間の激しい揺れによりドア周辺の破損が相次ぎ、閉じこめられるケースもあった。

 「娘が『ドアが開かない』と言って、体当たりをしたんです」

 仙台市若林区中倉2丁目の主婦菅原孝子さん(64)が振り返る。自宅は7階建てマンション。本震の揺れが収まり、次女(34)、3カ月の孫と外に出ようとした。

 ドアがびくともしない。「助けてください」。隣室の住人が、声に気付いて駆け付けた。隣人がドアを引っ張るのに合わせて、次女が体をぶつける。数回繰り返した後、やっと開いた。

 若林区大和町4丁目の13階建てマンションでも、ドアが動かない世帯が多かった。管理人の佐野伴文さん(64)は「バールで30戸以上のドアをこじ開けた。中には男性3人の力が必要だった所もある」と言う。

 どちらのケースも、開かなかったのは、揺れでドアやドア枠がゆがんだことが原因だった。建築基準法は建物の倒壊防止に主眼を置くため、ドアの強度に関して法的な基準はない。震災は法の盲点を直撃した。

 仙台市消防局によると、震災では余震を含めて、建物内に閉じ込められた住民の救助が39件あった。うち9件がドアやシャッターの破損が原因とみられる。火災が起きれば命に関わるほか、沿岸部では津波避難の遅れにつながる。

 震災では他にもクーラーの室外機や給湯器タンクなどの設備も倒れ、生活再建に支障が出た。

 田中礼治東北工大名誉教授(建築耐震工学)は「マンションの耐震化を考える場合、ドアや生活に直結する設備にも十分な配慮が必要だ。震災を教訓に、耐震性に関する新たな指針作りが求められている」と指摘する。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150207_06.html

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