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わがこと 防災・減災/第7部・援護(3)施設/人手、時間もっとあれば

津波が押し寄せる中、施設職員は利用者を乗せたベッドや車椅子を押して逃げた(イラスト・栗城みちの)
介護施設「めだか」の避難訓練で、支えられながら階段を下りる利用者=2007年1月、石巻市南浜町

 南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」は海から約2キロの平地にあった。東日本大震災の本震の後、職員約60人は車を使って利用者約140人の避難を始めた。車避難が2巡目に入る直前の午後3時50分すぎ、大津波が押し寄せた。

 「どこまで逃げればいいんですかー」

 誰かが金切り声を上げ、20人前後いた職員に緊張が走った。黒い津波が海岸林をなぎ倒し、土煙を上げながら迫ってきた。駐車場には、お年寄り約60人がベッドや車椅子で車避難を待っている。

 「いいからどこまでも逃げてー」。入所棟介護長の大井千加子さん(52)は叫んだ。職員たちは一斉に、ベッドや車椅子を押しながら、施設より約2メートル高い市道に全力で駆け上がった。

 大井さんもベッドを押して市道を横切った。キャスターが道からはみ出て畑に埋まり、動かない。その直後、足が冷たい衝撃に襲われた。

 あの日、本震の揺れが収まると、職員は車椅子やベッドに利用者を乗せたまま、外の駐車場に運び出した。

 敷地には老健施設のほかにも、デイサービス、訪問看護棟、居宅介護支援事業所、グループホームの各施設があった。

 入浴中でタオル1枚だけのお年寄りもいた。冷たい浜風が吹き付ける。強い余震が続き、施設内に戻るのは心配だった。毛布や布団を利用者にかぶせ、駐車場を囲むフェンスにブルーシートを張って風よけにした。

 「津波、大丈夫?」。寒さ対策が一段落したころだろうか。誰かの言葉に、大井さんはふと周囲を見渡した。

 防災無線の音が聞こえない。耳に入るのは風の音だけだ。消防や市の広報車の姿もなかった。

 市のハザードマップで、施設は津波の浸水想定域外。津波を想定した避難訓練はしていなかった。それでも万が一に備え、約1キロ内陸の職業能力開発校「福島県立テクノアカデミー浜」に避難することにした。春に花見をするなじみの施設で、体育館もある。

 「車は全部出して」「あなたは向こうで待機」と大井さんは声を張った。職員は6、7台の車を出し、利用者を乗せられるだけ乗せて運んだ。

 1回目に避難した車が戻る直前、津波が平屋の施設をのみ込んだ。利用者36人が犠牲になり、沿岸の利用者宅を尋ねた訪問看護職員1人が行方不明となった。

 車で帰宅途中だった男性(59)は、市道を横切って懸命に利用者を逃がす職員の姿を目撃した。「たくさん人がいた施設なのに、あの時いた職員は意外なほど少なかった」と印象を振り返る。

 この施設の職員と利用者の比率はおよそ1対3。大規模施設が利用者を避難させる時は、ただでさえ少ない職員が持ち場ごとに分散してしまう。

 大井さんは、襲われたのが波の刃先だったため難を逃れた。「速やかに避難してたら、もっと人手があったら、全員を助けられた」と悔やむ。

 岩手、宮城、福島3県の高齢者入所施設で津波の犠牲になった利用者と職員は少なくとも578人。うち介護度が高い特別養護老人ホームと介護老人保健施設で被災した入所者は369人で、全体の6割超を占める。

◎施設ごと解決模索/訓練と地域連携に活路

 海から約400メートルの低地にある石巻市南浜町の介護施設「めだか」は、東日本大震災の津波で2階建て施設が全壊したが、利用者47人と職員30人全員の命を守った。

 重さ450キロの冷蔵庫が動くほどの激しい揺れだった。「安全な場所に逃げるよ!」。管理者の井上利枝さん(70)に迷いはなかった。

 施設内は落ち着いていた。「誰から逃げますか?」。椅子から立ち上がり、避難の準備をするお年寄りもいた。

 1秒でも早く動けるよう、介護車や職員の車は普段から出入り口の方向に前向きで駐車していた。1回で避難を終わらせるために13台を使用。寝たきりの4人はストレッチャーで車に運び、その他の高齢者は自力か介助付きで歩き、分乗した。

 震災前から独自に、避難場所は約500メートル離れた日本製紙石巻の室内練習場に決めていた。最後の車が到着したのは午後3時ごろ。周辺住民はまだ避難しておらず、渋滞もしていなかった。

 宮城県沖地震に備え、10年ほど前から年数回、利用者全員参加の避難訓練を続けていた。

 当初は乗車完了まで20分かかった。階段での搬送に手間取る車椅子の替わりに、おんぶひもを使うなど工夫を重ね、6分まで短縮。震度3以上の地震が起きると、決まって同じルートで逃げた。

 特別養護老人ホームや老人保健施設など、介助の必要性が高いお年寄りを多く抱える施設ほど、けがを心配し、避難訓練には慎重になりがちだ。

 めだかでは、訓練でけがをした人はいない。訓練の重要性については、家族に十分な説明を心掛ける。井上さんは「『死んでもいいと思っている人には手を貸せないよ』と自助を促してきた。命の方が大事だと、家族も理解してくれている」と振り返る。

 南海トラフの巨大地震を警戒する地域では、周辺住民との連携に活路を見いだす動きも出ている。

 静岡市駿河区。介護療養型医療施設「静岡広野病院」は、海から約400メートルの場所にある。

 入院患者約200人のほとんどが自力で移動できない。想定では津波到達まで時間が短い。特にスタッフが手薄な夜間は、上階への避難が間に合わない可能性がある。

 5階建ての施設は、周辺で数少ない背の高い建物で、市の津波避難ビルになっている。そこで施設は、逃げてきた住民に患者の避難を手助けしてもらおうと考えた。

 避難を円滑に進めるため、町内会と合同訓練に取り組む。田宮健院長(58)は「短時間で津波が押し寄せる難しさはあるが、連携して患者と住民を守りたい」と話す。

 車で避難すれば、渋滞に遭うかもしれない。車椅子や介助歩行は人手や時間がかかる。震災は、福祉施設や病院のジレンマを浮き彫りにした。

 首藤伸夫東北大名誉教授(津波工学)は「地形や住民構成、道路整備状況など、地域の事情に応じ、知恵を出し合い、解決策を探るしかない」と強調する。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150207_09.html

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