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わがこと 防災・減災/第8部・教え(中)津波てんでんこ/避難と救助、消えぬ迷い

足が不自由な男性と、男性を助けようとした消防団員2人に、津波が襲いかかった(イラスト・栗城みちの)
京大防災研究所教授・矢守克也さん

 津波が迫る。人のことは構わず逃げるか、共倒れ覚悟で家族や知人を助けに向かうか。人々はジレンマに直面した。

 激しい揺れに、床一面に商品のしょうゆや油が散乱した。あの日、釜石市鵜住居町の米穀店兼自宅にいた二本松京子さん(67)は、津波から逃げようと外に出た。すぐ「あの2人も」と思い付き、駆けだした。

 100メートル離れた一軒家に老夫婦が住む。家族のように付き合ってきた。80代のおばあちゃんは風呂敷包みを抱えて玄関にいたが、90代のおじいちゃんは線香立てを片付けていた。

 「津波だ。神社さいくべし!」。鵜住神社に逃げようと誘った。おじいちゃんは「おらいのばあのこと頼む」「年寄りだがらいいがら、いいがら」と動こうとしない。

 時間がない。やむなく、おばあちゃんだけを連れて神社に避難した。直後、津波は老夫婦の家をのみ込んだ。「あー、おらいのとうさんもはー」。おばあちゃんは泣き崩れた。

 津波てんでんこ。震災後の2011年12月に87歳で亡くなった大船渡市の津波研究家山下文男さんが命名した。てんでばらばらに逃げろという意味だ。

 「一瞬の迷いが犠牲を生む」「自分だけ助かっても悪くない」。三陸地方を度々襲った津波の被災体験から導き出された、共倒れを防ぐ「哀(かな)しい教え」(山下さん)だった。

 震災前の3月3日にあった避難訓練で、二本松さんは老夫婦と一緒に神社まで行った。思えば、おじいちゃんは階段を登るのがつらそうだった。てんでんこを知ったのは震災後だ。頭で理屈は分かっても、気持ちは割り切れない。「無理にでも手を引いていれば…」と悔やむ。

 陸前高田市気仙町の消防団員村上太さん(26)は本震の後、仕事場から自宅に戻り、はんてんと長靴を身に着け、近くの屯所に向かった。住民を誘導中、100メートル先の気仙川の堤防から水があふれるのが見えた。

 「やばい」。避難場所の中井公民館で父幸一さん(60)の車の助手席に乗り込んだ。発進した直後、道端に男性がうずくまっていた。

 顔見知りだった。80代で足が不自由だ。「いぐな!」という父の制止を振り切り、太さんは助手席を飛び降りた。

 男性を抱きかかえて2歩、3歩…。再びうずくまって、なかなか進まない。「まだいける、まだいける」と太さんは男性を励ました。先輩団員の鈴木武志さん(42)も駆け寄り、2人で抱えた。

 津波が迫り、3人は足をすくわれた。「おればいいから、おめばり逃げろー」。男性が声を張り上げた直後、ザブンと頭からのみ込まれた。

 男性は亡くなった。2人は数百メートル流されたが、九死に一生を得た。

 村上さんも震災後、てんでんこを知った。「助けたかった。命を守るためにてんでんこが正しいのは分かるが、目の前に助けを求めている人がいたら、絶対に行く」。そう言い切るが、迷いも消えない。「先輩を危険に巻き込んでしまった」

◎「津波てんでんこ」の教え/事前に約束、共倒れ防ぐ/京大防災研究所教授・矢守克也さんに聞く

 東日本大震災の後、「津波てんでんこ」が津波避難の大原則として広く認知された。しかし、人によっては、自力避難できない人を見捨てる身勝手な行動だという誤った印象が持たれている。京大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)は「津波てんでんこには四つの意味がある。親子や地域で正しく浸透させてほしい」と話す。

 −津波てんでんこが全国的に知られるようになった。

 「本来の意味とは違い、われ先に逃げるというセルフィッシュ(自分勝手)な意味との誤解が広がっている。てんでんこを避難マニュアルのように伝えたせいだ。自力避難できない人々を締め出すような印象で、『避難放棄者』が生まれる素地にすらなっている」

 −素早く逃げるという意味以外もあるのか。

 「確かに、自助の原則に貫かれた言葉のように見える。だが、提唱者の山下文男さんが言うように、大津波で家族親族が共倒れする悲劇に見舞われてきた三陸地方の人々が、やむにやまれず生みだした『哀(かな)しい教え』でもある。自助だけではない」

 −ほかの意味は。

 「逃げる様子は他者に避難を促す率先避難の役割がある。さらに事前に他者と信頼関係を深める点も大きい。信頼せずに迎えにいけば共倒れの恐れがある。親と子、教員と保護者、職場と従業員の家族。それぞれが、てんでんこを事前に約束し、実行することでお互いの命が守られる」

 「自分だけが生き延びた場合『てんでんこだから仕方がない』と、罪悪感を和らげる効果もある。災害の事前、事中、事後に機能する重層的な言葉だ」

 −震災から2年がたったが、被災者の罪悪感は減らない。

 「亡くなった人と事前にてんでんこを約束できているかが重要だ。約束があれば、犠牲者から『逃げて良かったんだよ』と許しを得られる。個人だけでなく、集落全体に浸透させれば『もっとなすべきことはあったはずだ』という自責の念から集落を解放できる」

 −自力で逃げられない要援護者の避難支援は考えられないのか。

 「確かに、避難と救助は相反する面がある。でも、考えてほしい。山下さんは、てんでんこにはどうしても救えない命があって、救えない選択を最後は許すと説明している。私はその言葉を、避難支援を含めてギリギリまで最善を尽くせ、という意味に解釈している」

 「地震発生から津波が襲うまでの各地の時間は、国の想定によって分かっている。時間を区切って高齢者や障害者を助けることはできる。子どもたちはてんでんこを徹底すべきだが、大人は身近な命をどう救えばいいか何度も話し合い、訓練を重ねてほしい」

<やもり・かつや>大阪府出身。大阪大大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間科学)。09年から現職。専門は社会心理学、防災心理学。「個別避難訓練」や「二度逃げ」を提唱。50歳。

[津波てんでんこの成り立ち]岩手県三陸町(現大船渡市)出身の津波研究家山下文男さんが1990年に同県田老町(現宮古市)で開かれたシンポジウムで発言したのが由来。33年の昭和三陸津波を体験。一目散に逃げたことを家族にとがめられた父が「なに! てんでんこだ」と抗弁したことが防災研究者の間で話題になり「津波」と「てんでんこ」を結び付けて生まれた。

[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_02.html

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