わがこと 防災・減災/第9部・職場の備え(1)沖出し/水の壁、決死の正面突破
東日本大震災の大津波が迫る中、企業や工場、店舗で勤務していた人は、それぞれの職場で対応を迫られた。漁師は漁船に乗って沖に向かった。沿岸部の職場で働く人や顧客の命をどう守ればいいのか。あの日の証言と、その後の取り組みから、被害軽減のヒントを探る。(いのちと地域を守る取材班)
◎船のため危険な賭け
東日本大震災の発生直後、各地の漁師たちは漁船に乗って沖を目指した。津波から船を守る「沖出し」。海の男たちの避難行動は命の危険を伴う。漁師と家族を守るための模索が、各地の浜で始まった。
2011年3月11日、宮城県七ケ浜町の自宅にいた漁師斎藤又一さん(76)は、揺れが収まらないうちに外へ出た。
北太平洋で漁をする北転船の乗組員だった1960年、北海道・釧路港内でチリ地震津波を体験した。船が横向きに流され、転覆しかけた。あの恐ろしさは忘れていない。「船を沖に出すぞ」。自宅から約50メートル先の菖蒲田漁港に急いでいた。
萱島丸(4.9トン)に乗り込むと、迷わず5隻とともに出港。仙台港の防波堤を臨む海域で船を止めた。周囲の水深は20メートルちょっとだろうか。遠浅の海は津波が高くなる恐れがある。「どんな波が来るか」。防波堤に打ち上がる様子で見定めるつもりだった。
突然、沖にいた船から無線が入った。「萱島丸、大きな津波が来た。早く沖に出てけろー」。レーダーの範囲を広げた。沖から近づく幾重もの帯に仰天した。
「逃げろ逃げろ」。仲間に無線で叫び、全速力で沖に向かった。津波が迫る。目前に電柱の高さほどの水の壁がそびえ立った。真正面から乗りかかり、一瞬、船首も自分も空を仰いだ。
波頭を越える時、勢いがつきすぎると、船首から真っ逆さまに落ちかねない。「波に乗る前にスピード下げろー。船を曲げてはだめだどー」
全速力と減速を繰り返し、九つの波を超えた。手の震えが、しばらく止まらなかった。
本震の直後、岩手、宮城、福島3県で沖出しをした漁船は、河北新報社の調べでおよそ1100隻に上る。津波にのまれるなどした犠牲者は少なくとも26人を数える。水産庁が避難場所の目安とする水深50メートル以下の海域が比較的近い三陸海岸(八戸市鮫角~石巻市金華山)でも、犠牲者は20人に達した。
海は、津波の到達前にも潮位が激しく変化する。石巻市のある漁港では、沖出しを試みた漁船が港を出たところで養殖施設に引っ掛かり、津波で転覆。隣の浜でも漁船がプロペラにロープを絡ませ、津波にのまれた。
気仙沼市唐桑町でも本震後すぐに、引き波が始まっていた。自宅にいた漁師梶川徳雄さん(65)が只越漁港に向かうと、係留していた漁船は岸壁から沖に30メートルも流されている。
ロープをたぐっても引き寄せられない。叔父の船を伝って乗り込み、沖に出した。間もなく津波に沈む集落が見えた。
「タッチの差だった。唐桑では津波にのまれた船もある。おれは運が良かっただけだ」
◎沖出しを実証実験/漁船避難、ルール化模索
水産庁が2006年3月に策定した「災害に強い漁業地域づくりガイドライン」は、漁師の命を守ることを第一に、港に係留中の漁船の沖出しを原則禁止とした。河北新報社が岩手、宮城、福島3県の漁協などに聞くと、東日本大震災の沖出しの犠牲者26人のほとんどが、係留中の船を沖に出しており、「原則禁止」は形骸化していた。
命の危険を冒してまで沖に出る理由について、漁師たちは「1年更新の漁船保険は減価償却で補償額が年々減り、全損しても買い替え費用の全額を賄えない。漁師は失業手当もなく、食いぶちを失う」と口をそろえる。5トン船の価格は4000万~5000万円で、家より高い。
10月下旬、むつ市の関根漁港から3隻の漁船が、白波を立てて沖に向かった。津波発生後、どのぐらいの時間があれば安全な海域に移動できるのか。漁師自身が確認する沖出しの実証実験だ。
「家よりも船の方が大事な人もいるが、津波の知識や情報はゼロに等しかった」。関根浜漁協の葛野繁春組合長は打ち明ける。震災時、勘や経験に頼って沖に出た多くの漁師が、最大波の到達前に帰港したり、浅い海域にとどまったりしたという。
実験は青森県が本年度、関根浜漁協と階上町の階上漁協で始めた漁船避難ルールづくりの一環。浜ごとに漁師と専門家らが議論を重ね、県は海域ごとに120枚の津波避難マップを作る。
地震発生後、沖出しする漁師の実態に合わせ(1)漁港に係留中(2)沖合で操業中−の各ケースを検討する。津波の高さや津波到達予想時間ごとに、避難の可否も判断する。
ルールは浜ごとに漁師自身に決めさせる。県漁港漁場整備課の外城勉課長は「沖出しは危険行為。判断は漁師に委ねるだけに、勘や経験ではなく科学的な知識を得てほしい」と語る。
漁師の防災意識の改革が、思わぬ波及効果を生んだ事例もある。北海道根室市落石漁協は、09年に全国で初めて漁船避難ルールをまとめた。「津波到達予想時刻の20分未満では沖出ししない」などと決め、震災時はおおむねルール通りに約40隻が沖出しをした。
その際、漁師の家族たちも高台に避難し、漁師の安全が確認されるまで待機した。落石漁協の中野勝平組合長は「ルール化をきっかけに、家族や町内会にも避難を徹底するようになった。うちの浜では津波で犠牲者を出さないという強い意志が広がった」と説明する。
青森県や落石漁協のアドバイザーを務める片田敏孝群馬大教授(災害社会工学)は「ルールづくりを通じて漁業者が津波のプロになってほしい。取り組みが10年続けば、知見が広まり、漁業集落全体の防災意識が醸成されるだろう」と期待する。
[英訳] http://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/20150309_07.html