<あなたに伝えたい>3人とは一緒 大丈夫

語り合う倫愛さん(左)と真愛さん。野球談議になることも多いという

古川倫愛さん、真愛さん(釜石市)から優子さん、叶愛ちゃん、愛梨ちゃんへ

 岩手県釜石市の会社員古川倫愛(みちやす)さん(45)は東日本大震災で妻の優子さん=当時(32)=、次男の叶愛(かなめ)ちゃん=同(6)=、長女の愛梨(あいり)ちゃん=同(3)=を亡くした。同市鵜住居町の自宅で津波に襲われたとみられる。愛梨ちゃんは見つかっていない。倫愛さんは同市栗林町に自宅を再建し、長男の真愛(まなと)さん(17)と暮らす。

 震災当日の朝、倫愛さんは心がどこかざわめいた。普段は出勤する時、玄関で見送ってくれるのに離れて見ているだけ。「不思議で寂しかった」。3人の最後の姿だった。

 地震発生時、優子さんは自宅で友人とお茶を飲んでいた。近くの高台に逃げると話していたと聞いた。

 3月9日に津波注意報が出た地震があり、「(津波で大勢が犠牲になった)鵜住居防災センターは避難場所ではない、高台に逃げよう」と確認し合った。「大きい地震の時は駆け付けると言ったから、俺を待っていたのかもしれない」と悔やむ。

 名前の通り、優しく育児に一生懸命な妻だった。叶愛ちゃんが生まれて看護師を休職したが、復職を考えていた。

 「叶愛は負けず嫌い」。兄の真愛さんを慕っているけど負けたくない。3月5日、真愛さんの誕生日、プレゼントは野球のグラブだった。自分も欲しいと悔しがる姿を鮮明に覚えている。

 愛梨ちゃんはしっかり者。「心の強さが表情に出始めていた。足が速かった」と懐かしむ。

 「数年は何をしても心は真っ暗だった」と言う。夏ごろまで会社を休み、不明の愛梨ちゃんを探し回った。その後も半年ほど午前仕事、午後捜索という生活を続けた。

 真愛さんとは家族を亡くした事実をあえて避けなかった。「こんな時、母ちゃんだったら、叶愛だったら、という話をよくした」

 倫愛さんは少年時代から野球を続けてきた。真愛さんが野球を始めて、少年野球の指導に関わるようになった。野球を通じて少しずつ心が切り替わっていった。

 「災害死は普通の死とは違う。悲しみ抜いて、前を向ける時が来るのを待つしかなかった」と振り返る。

 「3人とは一緒にいる。もう俺は大丈夫だよ」。今はそう伝えたい。

 鵜住居小2年だった真愛さんは学校で集団避難した。母は頭が良くて料理上手だった。考え込む性格は母譲りだと感じる。「叶愛は何事にも臆さない。愛梨は人付き合いが上手。一緒に暮らせて楽しかった」

 高校を来春卒業する。進学して防災を学ぶ。野球も続けるつもりだ。「まだ伝えられるほど成長してない」。震災でなぜ大きな被害が出たのか。教訓をどう生かすのか。「風化が進んでも絶対に残るもの。それを考え続ける」。生き残った者の役目だと思っている。
(釜石支局・中島剛)

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あなたに伝えたい

あの日奪われた最愛の人を、片時も忘れられない人たちがいる。悲しみに暮れ、喪失感にさいなまれながらも、きょうを生きる。「あなたに伝えたい」。家族らの思いをつづる。


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