太平洋戦争の終結直前の1945年8月15日未明、秋田県の西成瀬村(現横手市)に3発の爆弾が投下された。14日夜から翌未明にかけ、秋田市土崎地区で250人以上の命が奪われた土崎空襲があり、その帰途に米軍が余剰爆弾を落としたとみられる。人的被害がなく、あまり知られていない史実だが、4歳だった季子(きし)和春さん(79)=横手市西成瀬地区交流センター長=は爆撃から逃げ惑った終戦の日の記憶が消えない。
谷あいの村に「ゴーッ」と反響音がこだました。真っ暗な空を爆撃機B29の編隊が飛行していた。「地獄の音。とても寝ていられず、機体の明かりを家族と見ていた」と振り返る。
土崎空襲では132機のB29が旧日本石油秋田製油所を攻撃し、約1万2000発の爆弾を投下。社員や家族、住民ら250人以上が犠牲になった。約80キロ離れた西成瀬村はB29の拠点だったマリアナ諸島と土崎地区を結ぶルートに入っていたとみられる。
季子さんは「村には軍需物資の銅を産出していた吉乃鉱山があった。攻撃目標になっていた可能性が高い」と語る。
投下された3発のうち1発は鉱員が住む団地の近く、残る2発は人家の裏に落ちた。季子さんの家からは500メートル以上離れていたが「すごい爆音だった。てんでばらばらに逃げ、俺と兄貴は家に飛び込んで、布団をかぶった」と話す。
その日の正午。ラジオがあった季子さんの家に近所の人が集まった。電波の状態は悪く、玉音放送は聞き取りづらかった。大人たちが「日本は負けた」「終わった」と口にしたことを覚えている。
土崎地区の悲劇から今年で75年。「玉音放送がもう少し早かったら、土崎空襲はなかったのではないか」と考えずにいられない。
戦後、南方戦線から復員した村の若者に戦地の話をねだったことがあった。若者は口を開かなかった。「どれだけむごいことがあったのだろう。国民を犠牲にして、何のための戦争だったのか」と季子さんは嘆息した。
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