東日本大震災で、仙台市沿岸部の農地が被災して9年半がたった。国営の農地整備事業で田畑は大きくなり、担い手への集約が進んだ。復興を遂げたようにも映るが、耕作者はいまだ残る被災の跡に戸惑い、新型コロナウイルス感染症など新たな困難に直面する。経営に知恵を絞り、都市近郊の「ムラ」の再生を目指す農業法人を訪ね歩いた。
(報道部・小木曽崇)
男たちが黙々と収穫作業を行う。その表情には充実感があふれていた。
9月中旬、市東部沿岸の南端にある若林区藤塚地区。六郷南部実践組合(若林区)は構成員9人が東部復興道路東側の同地区、西側の種次地区の計約70ヘクタールでコメや園芸作物を生産する。
「もう農家はできない」。震災直後、組合長の三浦善一さん(71)は藤塚の自宅、農地が津波で被災し、営農を断念しかけた。農協や同区日辺の生産者が農地の貸し出しを申し出てくれたのを機に、1カ月後に組合の前身となる共同営農組織を結成した。
先祖代々住んだ地元での本格的な営農再開には、行政の手厚い支援が欠かせなかった。現在、組合の耕作地は全て仙台東地区圃場整備事業で大区画化され、肥培や水管理の労力は大幅に減少した。
市は2012年、復興交付金を活用し、被災農業者で構成する集団にトラクターや育苗ハウスを無償貸与する事業をスタート。これをきっかけに集落営農組織が続々と誕生し、後に農業法人へと生まれ変わった。集落営農を行う市内の農業法人は10年2月に4法人だったが、今年2月は16法人にまで増加した。
震災前、周辺では家族経営農家が競い合うように大きな農機をそろえていた。「元々、機械にばかり金を払う現状は変えないといけないと思っていた。メンバーで共有できている現状には感謝している」と三浦さんは語る。
せっかく効率化した農場からは、今でも屋根瓦や大きな石、車の部品が出てくる。三浦さんは仮置き場とする近くの揚水機場に築かれたがれきの山を前に「永久に出てくるんじゃないか」と頭を抱える。
完全に復興したとは言い難いが、市内有数の野菜産地の再生を着々と進める。15年に法人化後、春から秋にレタス類、夏はエダマメ、冬はユキナと年間通して作物の出荷を心掛ける。社員を雇うようになり、年間通して仕事と収入を作り出さなければならないためだ。
コロナ禍は、そうした経営努力を水の泡にしかねない痛手となった。ホテルや飲食店の需要が霧消した春先、レタスの一種、グリーンカールは採算ラインの半額以下の卸値だった。人件費や段ボール、ラッピングの経費を支払えば赤字になるが、仕事を絶やさないためには出荷するしかなかった。
津波被害からの復興が終わらないうちに、新たな試練が押し寄せる。苦労は尽きないが、三浦さんは仲間が結束する効用を確かに感じ取る。「家族経営のままだったら、自分は1人で働いていた。まさか法人を設立するとは思っていなかったが、おかげで仲間で支え合いながら働ける」
[仙台東地区圃場整備事業]1区画10~30アールと小規模だった仙台市東部沿岸の被災農地を1ヘクタール程度に大区画化する国直轄の工事。2013年度に着工し、20年度に完了する。農地面積1900ヘクタールの事業費は316億円。整備後の水田では高性能の大型農業機械の使用が可能になり、用水路のパイプライン化で水張りが簡単になった。農地の広さが統一され、耕作地の貸し借りも行いやすくなった。
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