【仙台・沿岸農業の現在地】下 若き担い手 生産の柱づくりに奮闘

ブロッコリーの苗を定植する酒井さん(左)と吉川さん(中央)=9月中旬、仙台市若林区荒浜

 「秋作野菜の大きなベースとしたい」。設立6年目を迎えた仙台市若林区荒浜の農事組合法人せんだいあらはまは9月、ブロッコリーの生産に乗り出した。
 新たな挑戦の中心にいたのは入社6年目の酒井啓好(ひろよし)さん(27)、2年目の吉川朱利(あかり)さん(22)の園芸担当2人。小さな苗に期待を込め、丁寧に植え付けた。
 昨年、キャベツやハクサイと一緒に試験栽培し、ブロッコリーが最も虫が付きにくかった。何より市内には大規模な産地がない。酒井さんは「他の作物より値崩れしにくい。どこも出していないなら、チャンスがある」と狙いを明かす。
 年間の生産計画も2人で協力して作成する。「労力確保、畑の空き状況、栽培期間を考慮しながら計画を立てる作業は、まるでパズルのよう」。苦労を語る酒井さんの姿は、やりがいで満ちあふれている。
 震災後、市沿岸部は農業用機械を失った多くの家族経営の生産者が離農した。国が5年ごとに実施する実態調査「農林業センサス」によると、荒浜地区を含む旧七郷村地域には2010年に239世帯の販売農家が存在したが、15年は97世帯に減少した。後継者がいる世帯の割合も46.9%から33.0%へ急減した。
 新たに生まれた農業法人がそうした場所での耕作を受託し、農地の集約が進むが、法人自体も構成員の高齢化という不安を抱える。せんだいあらはまの代表理事を務める河野松男さん(69)は「震災時に60代だったメンバーは70代に、70代は80代になり、人手の確保が難しくなった」と悩みを打ち明ける。
 そうした背景があるからこそ、法人は若い担い手の採用に積極的に取り組む。
 7月上旬、名取市であった「農業法人セミナー」。県農業大学校の学生たちに、就職活動のアドバイスをする酒井さんと吉川さんの姿があった。大学校は2人の母校。吉川さんは2年前、セミナーに参加する学生だった。
 震災発生時に小学6年だった吉川さんは宮城県七ケ浜町出身で、当時の荒浜を知らない。「生産工程管理の認証取得を目指していると聞き、熱心な法人だと思った。自宅からも通える距離」と屈託なく入社の理由を語る。
 毎日、荒浜の土に向き合い、「依然、田んぼで大きな石が見つかることもあり、復興は終わっていない。年月をかけてもそういう障害を取り除きたい」との意識も芽生え始めた。
 太白区袋原のサラリーマン家庭に生まれた酒井さんは「先輩から教わったことを後輩に伝えることが自分の役割。仙台平野の農業を守りつつ、自分たちも成長したい」と話す。地区外からの新たな戦力が荒浜の農業を活気づける。

[農地の集約]仙台市によると、市東部沿岸の農地計約2000ヘクタールのうち、農業法人など中心経営体が耕作する面積は2012年度が314ヘクタールで、集積率は16%だった。集積率は15年度に27%、19年度には59%に上昇した。市は24年度に74%まで引き上げる目標を掲げる。

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