「過去の教訓」と「次への備え」が命を守った。東日本大震災で津波が襲来した岩手県洋野町。町民1万9271人、誰一人として犠牲にならずに済んだ。
地元漁師の蔵徳平さん(84)はあの日、町内の八木港で刺し網漁船の手入れをしていた。大きく長い揺れに「津波が来る」と直感した。
蔵さんは八木北地区自主防災組織の会長。「今すぐ逃げろ」。作業をやめ、漁港で戸惑う人々に声を掛けて回った。
高台の自宅の途中にある墓地から漁港に目をやると、見たことがないほど波が引いていた。「誰も浜に残ってなければいいのだが…」。不安がよぎる。
津波が少し落ち着いてから自宅近くの1次避難場所に向かった。既に地区住民100人が避難している。防災テントを設置し、炊き出しを始めていた。地震発生からわずか1時間後の光景に、蔵さんは胸をなで下ろした。
洋野町は過去2度、大津波に遭った。明治三陸大津波(1896年)では251人、昭和三陸津波(1933年)では116人が亡くなった。災禍のたびに徐々に高台に移り、震災では住宅65戸が被害に遭ったものの、全壊は10戸にとどまった。
町内には犠牲者を追悼する7基の慰霊碑が点在する。明治、昭和の津波で甚大な被害を受けた八木北地区。昭和の慰霊碑には「想(おも)へ 惨禍の三月三日」と刻まれている。住民は発生翌年から欠かさず襲来の日に慰霊祭を開いてきた。
「住民は津波の恐ろしさが身に染みている。大きな地震があれば津波は来る。でも、すぐ逃げれば助かると知っている」
こう力説する蔵さんが、八木北地区の全80世帯が加入する自主防災組織を設立したのは2008年8月。大規模災害時の速やかな避難と、過酷な避難生活に備えるためだ。以来、避難路の草取りや雪かきも繰り返してきた。
高台に建てた倉庫に、テントや停電時も使えるガス釜、まきストーブを収納し、非常食の乾パンなども用意した。蔵さんが管理する鍵は、有事の際に地区住民なら誰でも持ち出せるようにしていた。
住民主導の自主防災組織は、震災前までに町内6地区で発足した。防災意識が浸透し、震災で遡上(そじょう)高15メートルの津波が襲来したにもかかわらず、犠牲者をゼロに抑えた一因となった。
町防災アドバイザーの庭野和義さん(69)は震災前年の2月に発生したチリ大地震を挙げ「県全域に大津波警報が出され、実際に避難した経験が震災時に生かされた」と指摘する。
内閣府の有識者会議は4月、日本海溝・千島海溝沿いで巨大地震が発生した場合、洋野町には最大19.9メートルの津波が襲来するとの想定を発表した。蔵さんは「震災より5メートルも高く、町の正面から向かってくるようだ。被害は比べものにならないだろう」と気を引き締める。
震災での犠牲者ゼロは、被災3県の沿岸市町村で洋野だけだ。だが、次も唯一であっていいはずがない。「もう二度と津波で犠牲者を出してはいけない」。慰霊碑の前で、蔵さんが静かに手を合わせた。
(坂本光)
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