<まちかどエッセー・菅井理恵>土地に暮らす足かせ

菅井理恵[すがい・りえ]さん フリーライター。1979年喜多方市生まれ。テレビ局の記者を経て、写真家・宍戸清孝氏に師事。写真集・写真展の構成などに携わるほか、情報誌や経済誌などで人物ノンフィクションやエッセーなどを執筆。情報誌「りらく」では「東北における戦争」をテーマに「蒼空の月」を連載している。仙台市青葉区在住。

 あれは、小学生の娘を連れて帰省した夏の出来事だった。実家の食卓で娘が宿題をしていると、たまたま訪れた地元のおじさんが「そんなに勉強すんじゃねぇぞ」と言った。
 恐らく何を言われているのか、分からなかったのだろう。チラッと目を向けただけで、再びノートに目を落とした娘を見ながら、90歳を過ぎた女性の話を思い出していた。
 女性の両親はハワイで暮らす日系移民。母親は久しぶりに里帰りした日本で妊娠に気付き、子どものいない姉夫婦に請われて、彼女を養子に出した。
 「『あんた、6人も子どもいるのに、私は1人もいない。1人くらいけて(くれて)いったっていいべ』とうんと泣かれたから、(自分を)けていったんだって」
 養父は北海道の炭鉱で働いていたが、定年を迎えると、家族3人、故郷の宮城県蔵王町に戻り、農家になった。女性はそこで尋常小学校を卒業している。
 まだ、太平洋戦争が始まる前。実の家族はハワイで暮らしていたが、日本語を学ぶため、2人の姉が東京の学校に通っていた。姉たちは彼女に進学を勧め、経済的な支援を申し出た。けれど、養父母は頑として彼女の進学を認めなかった。
 「逃げて行かれるのがおっかねぇのさ。学校出して、頭良くなると、どこさでも行ってしまうから」
 世代が違えば、相手の言葉を理解することが難しいことも多い。だからこそ、教育を阻むことで故郷につなぎ留めようとする考え方が、今に至る100年近くもの間、特に地方で、ある共感を呼び続けていることに驚く。しかし、どこかでうなずく自分もいる。
 東京で生まれ育った知人が、私の故郷を見て「どうやって遊んでいたの?」と不思議そうに尋ねたことがある。確かに、コンビニやカラオケも「何もない」けれど、土地と結びついて生きる人たちは「何もない」中から遊びを創り出す。
 今の学校教育は「予測困難な時代に一人一人が未来の創り手となる」ことを目指しているという。ならば、予測困難な自然と向き合う地方の人たちが、希望を見いだせる教育を目指してこそ、新たな価値を生み出しながら日本が歩む未来を描けたのではないか。伸び続けた進学率の影で、学びに臆病になった人々のため息を感じた。
(フリーライター)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。

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