<まちかどエッセー・菅井理恵>命のサイン

菅井理恵[すがい・りえ]さん フリーライター。1979年喜多方市生まれ。テレビ局の記者を経て、写真家・宍戸清孝氏に師事。写真集・写真展の構成などに携わるほか、情報誌や経済誌などで人物ノンフィクションやエッセーなどを執筆。情報誌「りらく」では「東北における戦争」をテーマに「蒼空の月」を連載している。仙台市青葉区在住。

 小児科医の友人から「赤ちゃんは食欲がなくなると要注意」だと教えてもらったことがある。その時、食べ物を求める「欲」は命に直結するサインなのだと認識した。
 終戦後、シベリア抑留を経験した男性は、最後に残るのが「食うこと」だと断言した。衛生環境や食料事情も悪い極寒のシベリア。強制労働を強いられ、飢えや病気で亡くなった人は約6万人ともいわれる。
 「いい年をした男たちが、パンを切り分ける1ミリの厚さの違いで殴り合う。話す内容は『食うこと』だけ。帰ったら、ぼた餅食ってみたいとか」
 男性は抑留中の自分を、「人間」ではなく「動物」だと言った。
 10年ほど前の深夜、仙台市内のハンバーガー店で原稿を書いていると、隣の席に「今風」の若者たちが座った。私たちの他にはドアを隔てた喫煙室に女性が1人。彼らの話は耳をそば立てなくとも聞こえてきた。
 「あの時、お前、何食ってたの?」
 「あの時」が「東日本大震災」を指すことはすぐに分かった。ようやく夜中まで営業を続ける店が増えてきた頃。
 「家に置いてあったそうめんをカセットコンロでゆでて食べたけど、あれ、結構おいしかったんだよな」
 すると、皆が「あの時」の食べ物とそのおいしさについて語り出す。その口調は実感にあふれていて、私まで「あの時」食べた、おいしい記憶を思い出してうれしくなった。
 シベリアに抑留された男性は、3年後、ようやく帰国を果たした。しかし、過酷な環境は心を蝕(むしば)み、解放された喜びを感じることはできなかった。引揚船が入港したのは函館。そこから列車を乗り継ぎ、仙台に向かう。すると、なぜか一関で降りたくなった。
 ぼうっと駅のベンチに座っていると、若い女性が「兵隊さん、どこから来たの?」と聞く。シベリアから帰って来たことを伝えると、「これ食べて」と大きなおにぎりを渡された。
 「いやあ、うれしかったね」と言う男性に、「優しさが?」と聞くと「いや、腹がいっぱいになったうれしさだな」と言う。その口調はそうめんを語る若者の口調と同じ。何年かぶりに食べた「米の飯の感触」が生きる喜びを呼び覚ました時、彼は「人間」として息を吹き返したように思えた。
(フリーライター)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。

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