<ストーリーズ>三鉄支える 技と心意気/新田克浩さん(56)宮古市

【2021年1月】宮古駅構内にある車両基地で、車両の下に潜り込み定期点検をする新田さん。盛―久慈間のリアス線全線163キロを26両が走る。「安全第一で安心して乗車できるように整備したい」と話す
【11年3月】がれきに覆われた岩手県田野畑村の島越駅付近。線路や駅、高架橋など全体で300カ所以上被害を受けた
【14年4月】釜石駅では大勢の住民らがホームで列車を出迎え全線再開を祝った

 「運行が再開した日の盛り上がりは、開業時よりすごかったなぁ」
 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた三陸鉄道(宮古市)で、車両整備を担当する新田克浩さん(56)は懐かしむ。
 1984年の開業と同時に1期生として入社。運転士や車掌、窓口と、さまざまな業務をこなし、2005年運転士兼整備担当になった。
 大地震が起きた日は久慈の車両基地にいた。津波が来ると直感し、仲間たちと高台に逃げた。大船渡市の自宅は1メートル浸水したが家族は無事だった。
 「無理だ。復旧なんかできっこないと正直、思った」。だが、動かせなかったら三鉄じゃないと社内の機運が高まり、5日後には一部区間で運行を再開した。
 復旧に向かう姿は岩手沿岸部の象徴的な存在になっていった。テレビドラマなどの後押しもあって、多くの旅行客が訪れた。
 14年4月6日の全線再開した日は、ホームや沿線に大勢の住民が集まって、大漁旗を振ったり獅子舞で祝ったり。「ほっとしたよね」と振り返る。
 三鉄人気で若い社員も増え自身は整備に力を置く。「被災した車両と向き合った先輩たちの思いも引き継いでいるんだ」と自負する。同僚も認める「職人」はこれからも三鉄を支える。(写真部・坂本秀明)

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