防災庁舎で家族を亡くして 悲嘆と苦悩、そして受容

 東日本大震災で宮城県南三陸町の防災対策庁舎は大津波に襲われ、災害対策本部で対応に当たった町職員33人を含む計43人が命を落とした。大切な人を失った遺族は、心の折り合いをつけながら10年間の歳月を歩んできた。

「パパは最後まで頑張った」

 町社会福祉協議会の支え合い拠点「結の里」で2月中旬、職員の高橋吏佳(りか)さん(48)が、お年寄りに配るちらしずしの調理に汗を流していた。「彩りよく盛り付けてくださいね」と参加者に笑顔で声を掛けた。

 あの日、夫の文禎(ふみよし)さん=当時(43)=は屋上で津波にのまれ、今も行方が分からない。企画課でまちづくりを担い、同僚の信頼も厚かった。休日は3人の子どもに熱心に野球を教える子煩悩な父だった。

 震災後、町役場から白い封筒が届いた。入っていたのは文禎さんの3月の給与明細。死を悼む文言はなく、「心が感じられない」と憤った。

 震災から3カ月後、町は遺族を集めて初の説明会を開いた。公務災害などの手続きが中心で、庁舎内での職員の状況について納得できる説明はなかった。

 怒りと悲しみで心がささくれ立った。そんな時、震災時は中学1年だった長男禎希(よしき)さん(23)の言葉を思い出した。「パパは『避難しろ』と言われても逃げなかったと思うよ」。がれきが残る町で一緒に文禎さんを捜しながら、禎希さんが語り掛けた。

 いつも責めたり怒ったりしている自分が嫌だったし、前向きに生きたいと思った。「パパは庁舎で最後まで頑張った。死を前向きに捉えないと、一生懸命やったパパがかわいそう」。子どもに背中を押された。

「結の里」でお年寄りに配るちらしずし作りに精を出す高橋さん(右)=18日、南三陸町

あの場所に庁舎がなければ

 南三陸町の井上誠さん(62)は入庁して1年目だった長男の翼(たすく)さん=当時(23)=を亡くした。佐藤仁町長(69)の責任を追及し、業務上過失致死容疑で告訴に踏み切った遺族の一人。当初は防災庁舎の解体を望んでいた。

 「庁舎が(あの場所に)なければ高台に避難していたかもしれない」。今もふと思う。町は2013年に解体を決めたが、最終的には県が31年まで保有する提案を受け入れた。

 「悔しさや苦しみをかたくなに持ち続けるのは難しい。(遺構を巡る議論が)二転三転し、庁舎のことを考えるのも正直、ばかばかしくなった」。震災から時が過ぎ、家族の暮らしをもっと大切にしたいという思いが強くなった。

 「前へ進まないと。息子もそう願っているはず」。月命日の11日は防災庁舎で手を合わせる。

月命日に防災庁舎を訪れた井上さん。長男の翼さんを思いながら花を手向けた=1月11日、南三陸町

 震災から10年。町社協職員の高橋さんは1月下旬、「10年前の自分へ」をテーマに震災後の歩みを町民に聞いて回った。

 佐藤町長も対象の一人。震災から数年は、町長と会ってもまともに会話することはなかった。

 インタビューを終え、「これまで大変な道のりでしたね」と声を掛けると、佐藤町長は「文禎を亡くし、おめぇもつらかったべ」と返した。

 2人は目に涙を浮かべた。

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