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<311むすび塾>円滑な避難 実現へ工夫/第90回福井新聞社と共催@福井・三国(下)

防災意識向上に課題

避難訓練の後、気付いたことなどを話し合う参加者=2019年6月29日午前11時15分ごろ、福井県坂井市三国町の三国コミュニティーセンター
津波を想定して高台へと避難する参加者=2019年6月29日午前10時ごろ、福井県坂井市三国町

 河北新報社が2019年6月29日、福井県坂井市の三国町地区で開いた90回目となる防災・減災ワークショップ「むすび塾」は、模擬避難訓練の後、参加者13人が三国コミュニティーセンターで津波避難の課題を語り合った。次の災害に備えた訓練の大切さや、避難を円滑にする工夫の必要性を確認した。

 避難訓練を振り返った参加者からは「実際に歩いてみると坂が急で大変だった」「普段は車に乗っているので近く感じていたが、思ったより距離があった」という声が上がった。

 北前船が寄港してにぎわった三国町地区は木造の古い建物が多く、訓練では道路幅が狭い住宅街も通った。防災活動に取り組む中山晴男さん(70)は「地震で住宅が倒壊したら避難所までたどり着けるのか。夜間や冬場の地震を想定した訓練も必要だ」と話した。

 参加者からは、住民の防災意識の低さに対し、不安の声も出た。

 雄島まちづくり協議会長で行政区長経験もある会社社長の鹿島潤司さん(60)は「毎年避難訓練を開いているが、住民の参加率が低い。高齢者、障害者、要介護者らへの対応など考えるべき点も多く、不安がある」と打ち明けた。

 まちづくり団体職員の平林淳子さん(57)は「若者の参加が少ない。『指定避難所だから』と、自宅より海抜が低いところに避難する人もいる」と述べた。

 震災の語り部として参加した元消防士の佐藤誠悦さん(67)は「誰でも分かるように、津波の予想浸水高まで電柱を青く塗ったり、避難場所の方向に矢印を付けたりしてはどうか」と提案した。

 水中土木会社役員の安倍志摩子さん(57)は「高齢者らの避難に時間が掛かると、地域の犠牲者が増える可能性がある。逃げながら助けられると効率がいいので、高齢者には立って玄関まで出てくる訓練をしてもらいたい」と語った。

 東大准教授の広井悠さん(40)は「三国は地震発生から10分前後で津波が来る想定で避難が難しい地区でもある。古い家やブロック塀もあり、少しずつ改善することが必要だ。訓練で改善のヒントを探し、防災減災とまちづくりを両立させる取り組みを進めてほしい」とアドバイスした。

 福井工大教授の竹田周平さん(48)は「人間はすぐ忘れるので、今日の話を家族や地域で共有してほしい。話すことで記憶が定着し、訓練の効果が周囲に波及していく。行動だけでなく常日頃から備えを考える癖をつければ防災力は高まる」と強調した。

<東日本大震災の語り部から>

■まずは「てんでんこ」/元気仙沼消防署指揮隊長 佐藤誠悦さん(67)

 震災発生時は気仙沼消防署の指揮隊長を務め、津波火災の消火活動に当たりました。気仙沼湾の石油タンクが破壊され、炎上しました。辺りは火の海で、夜になっても昼間のような光景でした。

 延焼を食い止めた翌朝、署に戻ると妻が行方不明と知らされ、その場に座り込みました。妻のことを胸にしまい、捜索救助活動を続けました。見つかるのは指1本、腕や下半身だけなど現場は過酷な状況でした。

 中には心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する隊員も。体の痛みを訴えたり、突然泣いたり笑ったり。家族を亡くした人も多く、このままではいけないとカウンセリングを取り入れ対応に努めました。

 皆さんに訴えたいのは、津波の時はまず自分が逃げて命を守る「津波てんでんこ」が大事です。自分が助かったら周りを助けてほしい。それが共助の始まりです。

 命を守る訓練を積んだ自分が愛する女房を助けられませんでした。悔やんでも悔やみきれません。二度と同じような犠牲を出さないため、生きる術として防災力を強化することが大切です。震災の教訓を後世に語り継ぐのが自分の使命。命ある限り伝えていきたい。

■家族信じ身を守って/水中土木会社役員 安倍志摩子さん(57)

 震災時は東松島市野蒜地区に住み、鳴瀬川河口近くにあった会社事務所で地震に遭いました。10メートルの津波が押し寄せ、私と夫は家や事務所ごと流されました。

 屋根も壁もなくなり、残った床板に夫と乗ったままいかだのように川を7キロ上流に流されました。橋にぶつかりそうになったこともありました。川沿いの土手に上がり、助かりました。

 99.9%失ってもおかしくなかった命です。なぜ逃げなかったと言えば、「ここには津波は来ない」と思い込んでいたから。ハザードマップでは浸水高50センチでしたが、実際の津波は10メートルでした。

 「泳げるから、ライフジャケットがあるから大丈夫」と思うかもしれませんが、津波は絶対に逃げなければ駄目。日本海は津波が少なく、切羽詰まって考えられないかもしれませんが、私の地域は5人に1人が亡くなりました。

 「津波てんでんこ」とは家族を信じてそれぞれが自分の命を守るという意味です。人を助けに行き、亡くなった民生委員や消防団員は大勢います。こうした犠牲を防ぐには一人一人が率先して逃げることが大切。自分の命は自分で守ると肝に銘じてほしい。

■避難方法話し合いを/東北福祉大3年 志野ほのかさん(20)

 震災当時は東松島市野蒜小6年生でした。地震が起きたのは下校のため校門を出た時で、すぐに小学校の体育館に避難しました。体育館は指定避難所でしたが、地震の1時間後に津波が襲ってきました。車いすのおばあさんが2階に上がれず、泣き叫びながら水にのまれていった姿が忘れられません。水が洗濯機のように渦を巻き、18人が命を落としました。

 津波で祖父を亡くしました。両親は共働きで姉は当時高校生だったので、いつも祖父は一人で私の帰りを待っていました。震災の日も避難の準備をして、私を待っていました。隣家のおばさんが避難を呼び掛けても「『ほの』が帰ってくるのを待ってる」と言って通学路の方向を見ていたそうです。再会は2週間後。祖父はひつぎの中でした。

 家族を信じて自分の命を守る行動を取っていれば助かった命です。祖父から1960年のチリ地震津波の話を聞いていて、震災の2日前にも津波注意報が出ていました。それなのに、わが家では避難の仕方を話し合っていませんでした。

 皆さんには同じ後悔をしてほしくありません。命を守るために、すぐに家族と話し合ってください。

福井県 津波高想定見直し/2.5m→最大8m超/数分で第1波到達も

 福井県は2012年、東日本大震災を受けて津波高の想定を一律2.5メートルから最大8メートル超に見直した。日本海の若狭湾沖でマグニチュード(M)7級の地震が起きた場合、福井市など沿岸11市町で1229ヘクタールが浸水し、約1万1000人への影響を予測している。

 県内で最も高い津波高はむすび塾の会場となった坂井市三国町の8.68メートル。名勝・東尋坊や海水浴場もあり、観光客でにぎわう。福井市も6.87メートルに上る。

 日本海側の地震は震源が陸から近いものも多く、津波到達までの時間が短いとされる。福井県の想定も第1波が数分で来るケースがある。6月18日に山形県沖で起きた地震でも、発生から5分後に鶴岡市で第1波を観測しており、備えが必要だ。

 地震被害への警戒も欠かせない。福井県の想定ではM7.6の直下型地震が発生した際、死者は最悪約2000人と推計している。

 同県が過去最も大きな被害を受けたのは1948年6月28日に発生した福井地震(M7.1)だ。家屋倒壊や火災などで3769人が亡くなった。現在は東日本大震災、阪神大震災に次ぐ「戦後3番目の被害」として位置付けられている。

 47年施行の災害救助法が初めて適用されたほか、福井地震を機に震度7(激震)が創設された。福井空襲からの復興半ばで起きた災禍だった。

 地震から71年目となった今年も各地で追悼式があった。福井市は復興の精神を忘れぬよう「不死鳥のねがい」を市民憲章に掲げる。

<メモ>東日本大震災の体験を振り返り、専門家と共に防災の教訓や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。

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