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<311むすび塾>備え 住民が話す場必要/第88回ワークショップ@名取・閖上

津波被災地域の再生考える

タブレット端末を使いながら震災前後の地域の様子を振り返るむすび塾参加者=2019年4月21日、名取市閖上の日和山
震災の記憶や地域再生に向けた取り組みについて語り合う参加者=2019年4月21日、名取市閖上の閖上中央第一団地

 河北新報社は2019年4月21日、通算88回目の防災ワークショップ「むすび塾」を名取市閖上で開いた。東日本大震災の津波被害からの地域再生や防災課題について、住民ら9人が意見を交わし、コミュニティー全体で取り組む大切さを確認した。

 参加者は語り合いを前に地区を見渡せる日和山を訪れ、写真データを使いながら震災前の閖上地区や被災当時の状況を振り返った。

 集合型災害公営住宅「閖上中央第一団地」集会所で開いた語り合いで、閖上に住む太田千秋さんは震災発生直後の地域の様子を「ただぼうぜんとしている人が多かった。声を掛け合い、ようやく避難を始めることができた」と説明。地域住民の注意喚起が役立ったことを強調した。

 現在は震災前に比べて住民同士のつながりが薄れ、地域の防災力が低下しないか不安視する声が多く上がった。音楽団体の代表で、閖上の小斎聖佳さん(30)は「家族の年齢構成によって参加する地域行事が異なり、どうしても付き合いに偏りが出る。住民全員で防災について話し合う場が必要だ」と提案した。

 被災経験を踏まえた備えについては「家族や親戚の電話番号を紙に書き留めている」「靴は非常持ち出し袋に入れている」などの実践例を出し合い、日頃の備えの大切さを再確認した。

 助言者として参加した東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授は、名取市との共同調査結果に触れ、「現地再建した住民のうち、万が一の避難先が決まっている人は6割にとどまる」と課題を指摘した。

 避難ビルとなっている6階建ての第一団地屋上に上がったことがある参加者は数人だった。第一団地の管理組合で会計を務める樋口学さん(51)は「屋上の鍵を開けるにはこつが要る。練習しないと非常時に開けるのは難しいだろう。ただ開け方を周知すると防犯上の問題が生じ、悩ましい」とジレンマを口にした。

 大震災から8年が経過し、震災を覚えていない、体験していない子どもたちが増えている現状を踏まえ、次世代への伝承も話題になった。閖上で自宅を再建した渡部牧さん(47)は「閖上小中には別の地域から来た子どもも多い。閖上で何があったのか、どうすれば命を守れるかを教えてほしい」と話した。

 日和山の近くに震災前から昭和三陸津波(1933年)の教訓を刻んだ石碑があったが、以前は知る人ぞ知る存在だった。佐藤准教授は震災伝承について「石碑だけでは不十分だ。住民の営みと関連付けることで伝承が生きたものになる」とアドバイスした。

 コミュニティーの連携と備えの強化を図る工夫として、(1)避難場所の周知を兼ねて団地屋上で花火見物や芋煮会など住民の交流イベントを開く(2)廃品回収を行って防災備品の購入費やイベントの活動費を工面する-といったアイデアを紹介した。

 閖上ではお盆の迎え火などで、枝に刺したまんじゅうを焼いて食べる風習がある。このような子どもが参加する伝統行事を、次世代に震災を語り継ぐ場にすることも提案した。

町並み変貌/「かさ上げ、舗装 記憶新しく」

 名取市閖上地区で4月21日開かれた「むすび塾」の参加者9人は、話し合いの前に日和山(6.3メートル)に上り復興工事が進む地区を視察した。震災前の町並みの写真データを収めたタブレット端末を手に、かさ上げされ震災前から大きく変貌した現在の町とを見比べた。

 震災前に約5000人が暮らしていた閖上地区は、震災で9メートルを超える津波に襲われ、住民754人が犠牲となった。土地区画整理事業により、海側32ヘクタールを海抜5メートルの高さにかさ上げする。一帯は大規模造成が進められている。

 地域情報誌「閖上復興だより」を発行する一般社団法人「ふらむ名取」代表の格井直光さん(60)がガイドとなり、震災前後の日和山周辺の変化を説明した。

 日和山は震災前はどんと祭などの時以外訪れる人は少なかったが、震災後は犠牲者を悼む鎮魂の場として多くの人が集まるようになった。格井さんは「大きく変わった閖上地区で、残ったのはここだけ。震災遺構のような存在」と評した。

 町並みについて、ふらむ名取理事の大宮理香さん(45)は「震災前の様子が分かる場所と分からなくなった場所がある。かさ上げされてきれいに舗装され、昔の記憶しかなかった閖上が新しく塗り替えられていく気がする」と語った。

 日和山の目の前には、東日本大震災の津波で流され山の西側に横倒しにされていた昭和三陸津波(1933年)の教訓を伝える石碑が再建された。助言者として参加した東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授は「津波の恐ろしさを伝えるという意味では、あえて横倒しのままにするという手もあるかもしれない」と語った

<助言者から>

■石碑 教訓伝える工夫を/東北大災害科学国際研究所 佐藤翔輔准教授
 震災前、多くの住民の間で「閖上には津波がこない」と語られていた。一方で、「地震イコール津波」と直結して考え、震災時も即避難行動を取った住民もいた。どうして、この二つの捉え方に分かれたのか。今後の街づくりを考えていく上でポイントになる。

 日和山では、以前の津波を伝える石碑が再建された状態を確認してきたが、石碑があるだけでは教訓を生かせない。あえて倒れたままにして、なぜ倒れているのか考える方が伝えられる面もあるのかもしれない。

 他地域では、住民たちで石碑の文字をなぞったり、石碑の前で慰霊祭を行ったりといった例もある。地域で開催されている普段の営みと関わりを持たせていくと継続できていくだろう。

<メモ>東日本大震災の体験を振り返り、専門家と共に防災の教訓や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催の希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。

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