<311むすび塾>対策の必要性 指摘続々/第84回中日新聞と共催@三重・伊勢(下)
リスク分析 取り組み継続を
河北新報社が2018年12月1日、中日新聞社(名古屋市)と共催して三重県伊勢市二見町茶屋地区の景勝地「二見浦(ふたみがうら)」で開いた通算84回目の防災・減災ワークショップ「むすび塾」で、参加者14人は避難訓練後、「賓日館(ひんじつかん)」に集まり、訓練の課題や今後への備えについて語り合った。二見興玉(ふたみおきたま)神社の参道沿いに旅館や店舗が立ち並ぶ一帯での旅行客の誘導などを巡り、地域一体での備えの重要性を再認識した。
二見町在住で、三重大防災・減災センター助教の水木千春さん(47)は「地区内は路地が細く見通しも利かない。災害時に観光客を落ち着かせて一緒に避難できるよう、住民は声掛け訓練をやっておいた方がいいのではないか」と訴えた。
NPO法人「二見浦・賓日館の会」事務局長の山本直子さん(40)は「地元住民ではないため土地勘がなく避難誘導に戸惑いがある。避難場所に備蓄品がないのも気になる」と強調した。
旅館関係者からは避難の難しさや安全対策の必要性を指摘する声が相次いだ。
二見町旅館組合長の増田幸信さん(59)は東日本大震災時を振り返り、「この地区でも警報が出たが従業員に宿泊客の避難をどの段階で指示するか迷った。避難のタイミングや夜間対応なども含め、正解が正直分からない」と打ち明けた。
「二見浦でも修学旅行客は減っている。海沿いの地区に泊まらないよう学校に通知した自治体もあると聞く。安全対策の強化が必要だ」と力を込めたのは旅館経営五十子昌秀さん(57)。五十子さんは地元消防団の責任者も務めており「音無山の夜間照明を常時点灯するなど、地域の団体が連携してできることを形にしていきたい」と強調した。
二見興玉神社は海に面して参道が狭い。禰宜(ねぎ)の福田和人さん(57)は「繁忙時の参拝客の避難誘導に不安を感じる。住民や旅館、消防関係者など地域一体となった避難誘導訓練はできないだろうか」と提案した。
震災語り部からの助言もあった。岩手県大槌町でホテルを営む千代川茂さん(65)は「宿泊客の避難場所を昼は高台、夜は屋上と決めている」と説明、「決めておかないとパニックになる。震災では従業員の日ごろの訓練が生き宿泊客の命を救えた。頭より体で覚える方が確実に行動できる」と訓練の重要性を訴えた。
他の語り部も津波被害の状況や訓練の方法、避難場所に懐中電灯や防寒布などを備蓄するキャビネットを置く案などを紹介した。
助言者として参加した三重大工学部の川口淳准教授(53)は「二見浦にとって海の近さはリスクであるが実は最大のPRポイントでもある。リスクを分析して命を守る対策を進め、発信してほしい。地域を挙げて訓練を行うなど多くの人と防災意識を共有し、防災の取り組みを継続していくことが大切だ」と指摘した。
津波訓練 毎年実施/わずか4.7%
むすび塾開催に先立ち、中日新聞社と河北新報社は、会場となった景勝地「二見浦」がある伊勢市二見町茶屋地区の旅館などを対象にアンケート(有効回答数21)を実施した。その結果、「南海トラフ地震を想定した危機管理計画を作っていない」と答えた団体・企業は76.2%に上り、「津波を想定した避難訓練を毎年実施している」と答えたのはわずか4.7%にとどまった。津波対策が後手に回っている実態が浮き彫りになった。
旅行客を守るマニュアルを「作っていない」と回答したのは81.0%。また、「南海トラフ地震が起きた時、観光客を安全な場所まで避難させる自信はあるか」という設問に対し「自信がある」と答えたのは16%にとどまった。
津波以外の避難訓練は大半の団体・企業が毎年実施していたが津波を対象とした避難訓練は「数年前に実施」との回答が目立った。
今後の地震や津波への対応で不安に思う点では、「誘導するには人手が足りない」「住民に高齢者や障害者が多い」「近隣に避難場所が複数ある。どこが適当か分からない」といった記述があった。
避難経路についても「茶屋地区は古い建物が多く、倒壊して道をふさぎそう」「避難場所になっている音無山の土砂崩れの危険もあるのではないか」「夜間に地震が起きたら外にでるか、建物内にとどまるか悩む」といった回答も寄せられた。
<被災体験者から>
■避難方法決めておこう/宮城学院女子大3年 佐々木花菜さん(20)=富谷市
出身は海に面した石巻市雄勝町です。母は市立雄勝病院の管理栄養士でしたが、東日本大震災で病院が屋上まで津波にのまれ今も行方不明となっています。
皆さんに伝えたいのは、定期的な避難訓練と、避難方法をあらかじめ決めておくことが大事だということです。震災のとき、雄勝中1年だった私は裏山に逃げて助かりました。地域と学校の訓練で何度も登った場所で、幼いころの遊び場でもあり、ためらうことなく避難できました。
父の「地震が起きたら山に逃げる」という教えも役立ちました。父はいつか来ると言われていた宮城県沖地震を警戒し家族といれば一緒に逃げる、1人ならバラバラに逃げるよう家族に繰り返し伝えていました。
海近くの病院や宿泊施設などでは、働く人の命が助かるような備えが必要です。患者や高齢者らを避難場所にスムーズに連れて行けるよう通路を整備し、土地勘のない人のために避難標識も設置してほしい。
大切な家族が亡くなれば、心にダメージを受けます。誰にも私のような思いをしてほしくありません。つらく悲しい思いをする人が減るよう、命を守る備えを進めてください。
■「安全」思い込みは危険/三陸花ホテルはまぎく社長 千代川茂さん(65)=岩手県大槌町
震災前、家族で旧「浪板観光ホテル」を経営していました。地震発生時、ホテルには秋田県の団体客43人が滞在していました。
揺れが収まった後、従業員4人が直ちに団体客を高台の駐車場に誘導し、全員の命を守ることができました。ホテルは3階まで津波にのみ込まれました。
この4人の従業員は、震災前から町観光協会主催の訓練にまじめに参加していました。訓練を続けた結果、体が覚えていて命を守る行動を取れました。面倒だとか恥ずかしいとか思わずに体を動かし訓練しなければ、とっさの時には何もできません。
2013年8月にホテルを再建しました。海の前に立地しており、夜間に津波が発生したら外ではなく、屋上に避難することに決めています。立地条件に応じて、事前に避難場所を決めないと観光客の誘導はパニックになると思います。
「津波は来たことがない、来るはずがない」という思い込みが危険です。避難を呼び掛けても逃げずに亡くなった人が大槌町にも大勢いました。これからは外国人旅行客がますます増えます。どう避難させるのかを真剣に考えなければいけません。
■命だけ持ち高い場所へ/ホテル「エルファロ」女将 佐々木里子さん(50)=石巻市
震災時、女川町で子育てしながら両親が営む旅館を手伝っていました。揺れの後、津波が来るから逃げようと訴えましたが、父は「先に行ってろ」と言って母と旅館に残りました。私は子どもたちを連れ車で高台に移動中に津波に遭い、命からがら逃げ延びました。
旅館は宮城県沖地震の津波避難を想定した備蓄品用のプレハブ倉庫を高台に確保し、家族と客の避難場所に決めていました。私はそのおかげで助かりましたが、両親は避難せず犠牲になりました。父には「津波は大したことはない」との甘えがあったと思います。手を引っ張ってでも逃げていればと残念でなりません。
女川は約50軒あった宿泊施設の大半が流され、同業者4軒でトレーラーハウスを使ったホテルを12年に開業しました。ホテルは客を高台に逃がすマニュアルがあります。客と従業員の命を守る訓練の大事さを皆さんと共有し意識を高めたいと思います。旅館があった地区は訓練通りに逃げて約20人が助かりました。
震災で持ち出せたのは命だけでした。「命だけ持って高い所に逃げる」が最大の避難。生き延びた者として命を守る方法を伝えていきたい。
<メモ>東日本大震災の体験を振り返り、専門家と共に防災の教訓や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。