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<311むすび塾>小さな実践 大きな動きに/第78回静岡新聞社と共催@静岡・駿河区(下)

地域に即した避難 議論

静岡市の津波ハザードマップを囲み、防災の取り組みについて語り合う参加者=3日、静岡市駿河区の静岡広野病院

 河北新報社が2018年6月2、3の両日、静岡市駿河区広野地区で開いた通算78回目の防災・減災ワークショップ「むすび塾」は、南海トラフ巨大地震を想定した津波避難訓練の後、参加者14人が静岡市駿河区の静岡広野病院に集まり、訓練の感想や課題を語り合った。都市型津波の避難対応や初めて活用した携帯端末向けの防災アプリなどについて意見を交わし、犠牲者を出さないための地域の備えの重要性を確認した。

 駿河区は川や漁港があり、海岸近くまで住宅や建物が密集する。参加者は震災の語り部と共に、津波浸水域を想定した地図を見ながら避難の課題を協議した。

 津波避難訓練に親子で参加した会社員永島朋佳さん(33)は「今まで警報が出ても家の2階にいた方が安全かと思っていたが、水が引かないと孤立して食料確保が難しいなど問題点が分かった。いち早く家を出て避難する。避難について改めて考えたい」と表情を引き締めた。

 広野地区は道幅が狭く、漁港や公園を利用する市外からの来訪者の車も加わって渋滞も懸念される。高齢の隣人を連れ車で避難しようとして父が犠牲になった語り部の話などを受け、静岡広野病院の田宮健院長(63)は「地域の高齢化が進み、自力で避難できない人は増えている。高齢者など災害弱者の避難をどうするかが課題だ」と訴えた。

 訓練のアイデアとして夜間や子どもだけで行う、車椅子に乗っている人に参加を促し改善点を探る、町内で消灯して避難する-などの案が出された。広野町内会の杉山貴勇(たかお)会長(64)は「大震法の見直しで住民に戸惑いもあるが、語り合いを通じて課題が分かった。地域で連携し、防災の幅を広げよう」と呼び掛けた。

 語り部からは具体的なアドバイスもあった。

 多賀城市で被災し、祖母を亡くした岩手大4年福田栞さん(21)は「多賀城は海と川から水が来た。道が入り組んでいると、想定の浸水深が低くても、多方向から速度を増して流れ込む。避難先を複数考えておき、なるべく早く高い所に逃げた方がいい」と強調。

 他にも「津波で押し寄せるのは波ばかりではない。砂防林の松が家屋に突き刺さったり、港のコンテナがトラックに突っ込んだりした」と、都市型津波の脅威を訴える声もあった。

 静岡大防災総合センター長の岩田孝仁(たかよし)教授(63)は「防災の取り組みは少しのヒントでもやってみることが大事だ。小さな実践が大きな動きになる。被災者の体験をわがこととして捉え、地域や行政を巻き込んで対策を進めてほしい」と力を込めた。

大震法見直し 転機迎える先進県

 静岡県の地震警戒は転機にある。40年にわたり「東海地震説」に備え、地震対策に積極的に取り組み「防災先進県」とも言われてきたが、昨年、政府が対策の根拠になっている大規模地震対策特別措置法(大震法)を見直したことで、警戒情報への対応が課題になっている。

 東海地震説は1976年8月、当時東大助手だった神戸大名誉教授の石橋克彦氏(73)が「駿河湾を震源とするマグニチュード(M)8程度の地震が明日起こっても不思議ではない」と提唱した学説に基づく。

 大震法は、この学説を受け、東海地震予知を前提に78年に制定された。気象庁が予知情報を出し、首相が警戒宣言を発令すると、事前に定めた計画に沿い、鉄道の運行停止などの規制が一斉に敷かれる仕組みだ。

 静岡県でも同年、第1次地震被害想定をまとめ、対策強化に着手。さらに78年の伊豆大島近海地震、2009年の駿河湾を震源とする地震などが相次ぎ、警戒が強められた経緯がある。

 しかし、想定外の東日本大震災(11年)、無警戒だった熊本地震(16年)などが発生し、政府は地震予知の限界を認め、大震法を見直し、東海地震偏重から南海トラフ巨大地震対策にシフトする方針を決めた。

 予知情報に代わり、異常な現象が観測された場合などに臨時情報を出して住民に注意喚起する。

 その警戒情報への対応が曖昧なままになっており、「避難させるべきか」「避難するとしても、いつまで避難を続けるのか」と行政、住民ともに戸惑いが広がっている。

◇静岡県の地震対策と主な出来事(かっこ内は最大マグニチュード)
1976年 8月 「東海地震説」発表
  78年 6月 大規模地震対策特別措置法(大震法)公布
     11月 東海地震の第1次地震被害想定発表
  93年 6月 東海地震の第2次地震被害想定発表
  95年 1月 阪神淡路大震災(M7.2)
2001年 5月 東海地震の第3次地震被害想定発表
  04年10月 新潟県中越地震(M6.8)

  08年 6月 岩手・宮城内陸地震(M7.2)

  11年 3月 東日本大震災(M9.0)、静岡県東部地震(M6.4)

      8月 内閣府有識者会議が「南海トラフ巨大地震」に言及
  13年 6月 東海地震の第4次地震被害想定発表
  16年 4月 熊本地震(M7.3)

  17年 9月 政府、大震法見直し、地震予知転換

<語り部から>

■本気の避難訓練が命救う/元一景島保育所長 林小春さん(66)=気仙沼市
 当時は気仙沼市の一景島保育所長を務め、園児71人を近くの公民館に避難させました。3日間孤立し、わずかな水と食料を園児に分け耐えました。燃料タンクから流出した重油に引火し気仙沼湾が火の海になり、一時は死を覚悟しました。

 迅速に避難を開始し、一人も犠牲者を出さなかったのは、避難訓練を重ね、地震の時は必ず避難していた成果です。地震はいつ発生するか分かりません。訓練開始を事前に知らせず、プールの時間に非常ベルを鳴らしたこともありました。

 震災2日前の地震でも避難しましたが周囲からは「大げさだ」と言われました。ですが、命を守るためには油断は禁物です。職場や地域住民の間で防災について当たり前に話し合える空気を醸成してほしいです。

 広野地区は路地が入り組み、地元の人でも逃げるのが困難との印象を受けました。地域を知り、訓練時には本番を意識して全速力で走ってみるのも大切です。

 幼い複数の子どもを避難させるには、周囲の協力が欠かせません。震災時は近くの水産加工会社から男性社員が駆け付け、園児を公民館の上階に運んでくれました。普段から関係を築き、応援を要請しましょう。

■過信禁物 想定外も考える/若林消防団六郷分団員 柴崎智和さん(42)=仙台市若林区
 仙台市若林区種次で消防団員をしています。震災の日の夜、自衛隊や警察より早く現場に入りました。自分の住んでいた集落は、膨大な量のがれきが広がる地獄のような光景でした。

 生存者の発見救出が消防団の任務でしたが、5日後ぐらいから遺体捜索に切り替わりました。私は5人の遺体を収容しました。怖い、気持ち悪いなどの感情はわかず、ただ気の毒に思うだけでした。今思えば異常な時間でした。

 父は車に荷物を積んでいる時、津波にのまれて亡くなりました。高齢の隣人を連れて逃げようとしたそうです。父の遺体と対面した時、涙をこらえることができませんでした。自力で避難できない人をどうするか、地域で話し合っておく必要があると思います。

 震災時に避難誘導を担った仲間から「放っておいて」と逃げない人がいたと聞きました。わが家は「津波が来ても庭先がぬれる程度」と決めつけていました。

 地形が似た駿河区でも、自分の所に津波は来ないと思う人はいるはず。過信せず、万が一に備えて訓練を徹底してほしい。想定外のことも皆で話し合い、夜の訓練を取り入れるなど柔軟に取り組んでほしいです。

■災害への心構え 共有して/岩手大4年 福田栞さん(21)=盛岡市
 東日本大震災当時は多賀城市の中学2年生でした。車で家族と避難中に津波に遭い、妹と近くのマンションに救助された後「第2波が来る」と言われ、救助中だったおばあちゃんを待たずに上の階へ逃げました。

 3週間後、おばあちゃんは遺体で見つかり「私が見捨ててしまった」と後悔しました。おばあちゃんの作る漬物やきんとんや卵焼きが大好きでした。もっとつらい思いをしたとしても、みとってあげたかった。

 今も何が正解だったのか分かりません。でも、避難の意思をもっと早く持っていれば、助かる道が広がったのではと思います。多賀城は海が見えず、海の近くに住んでいる意識がありませんでした。避難先として徒歩5分のホテルがあることも後で思い出しました。

 起こりうる災害を知り、周りに話し、複数の避難場所を考えておくことが大事です。極力、車は使わないで。本当に車が必要な高齢者や体の不自由な方が避難できません。確実につながる遠くの親戚の連絡先を覚えることも効果的です。

 体験を話し、悲しみを減らすことが今の私にできることだと思っています。後悔のないように生きてください、と伝えたいです。

<メモ>東日本大震災の体験を振り返り、専門家と共に防災の教訓や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。

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