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<311むすび塾>「ここまで逃げる」確認/第75回神奈川新聞と共催/@神奈川・平塚(下)

避難経路に懸念材料/揺れ対策と垂直避難も

「逃げ地図」を囲み、避難訓練の結果を話し合う参加者
平塚市が作った「逃げ地図」の一部。津波避難の目標ポイント(赤丸)が一目で分かる

 河北新報社が2018年2月4日、神奈川新聞社(横浜市)と共催して神奈川県平塚市で開いた通算75回目の防災・減災ワークショップ「むすび塾」で、相模トラフ地震を想定した避難訓練の後、参加者らが同市なでしこ公民館で訓練を振り返った。避難の手順や初めて活用した「逃げ地図」の有効性などを話し合い、地域の防災課題として共有。命を守る避難に向けて意識を高めた。

 参加した多くの住民がスタートに手間取ったよう。「家や施設を出るまでに予想以上に時間がかかった」「持ち物をチェックしてたら、あっという間に時間がたってしまう」との声が上がり、避難準備の大切さを確かめ合った。

 ネイルサロン経営の若狭梓さん(35)が「子どもが先に走って行ってしまい、焦った」と戸惑い気味に話すと、東日本大震災の被災者から「懸命に逃げれば、ばらばらになる。それを前提とする必要がある」との指摘が出た。

 逃げ地図については、撫子原自治会会長の臼井照司さん(69)が「『地震から6分で9.6メートルの津波』と聞き、逃げられないと諦めていた人が『ここまで逃げれば何とか助かる』と認識できた」と評価した。

 一方で、地震発生から津波襲来までの想定時間が短いことから、近隣の高い建物や家の2階に避難する垂直避難の重要性も指摘された。宮城教育大の小田隆史准教授は「水平避難と垂直避難の組み合わせで、より実際的な避難の在り方を追求する必要がある」とアドバイスした。

 避難路の現状には懸念が出された。「ブロック塀が崩れたりマンホールが飛び出したりしたら、車いすが通れなくなる」「道が狭く、車が入ってきたら交通事故が心配」。素早い避難行動のため、地震の揺れ対策をして落下物や散乱する物を最小限にする必要があるとの認識を確かめ合った。

 東松島市の東北文化学園大1年添田あみさん(19)が「震災時、自宅では固定していた食器棚だけは倒れなかった」と言うと、若狭さんが「早速取り組みたい」と対策を誓った。

死者14万人想定/相模トラフ震源 最大M8級も

 平塚市を含め、神奈川県に大きな被害をもたらすのは、相模トラフ沿いを震源とする海溝型巨大地震だ。

 相模トラフは、日本列島が乗る陸のプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込む全長約250キロの境界域で、神奈川県西部から相模湾を経て房総半島沖で日本海溝に交わる。さらに地殻深くで太平洋プレートも複雑に影響し合い、これまでも大規模地震を繰り返し引き起こしてきた。

 代表例は、10万5000人余りが犠牲になった1923年の関東大震災(大正関東地震)。房総半島を襲った津波などで1万人以上の死者を出した1703年の元禄関東地震や、1293年の永仁関東地震も、相模トラフが動いたとされる。

 神奈川県は「大正型」や「元禄型」の関東地震が再来した場合など、相模トラフが震源となるマグニチュード(M)8級の地震3パターンで被害を想定。M8.7に達する最大クラスの地震の場合、同県内だけで死者は14万人を超え、うち11万人以上が津波による犠牲と見込む。

 相模トラフは陸域にも及んでいるため、直下型に近い激しい揺れの直後に高い津波が押し寄せる危険性があり、一刻も早い避難が最優先課題となっている。

「逃げ地図」浸水境界図示「目標」一目で/平塚市

 地震発生後わずか6分で襲来する大津波から、どう身を守るか-。迅速に避難するための手段として平塚市が普及を目指すのが、既存のハザードマップを工夫した「逃げ地図」だ。

 津波に巻き込まれる危険がある浸水想定域から、域外に出る境界ポイントを赤丸で図示。「ここまで来れば、とりあえず安全」という避難目標の高台を可視化した。

 さらに、避難に使う道路を目標までの距離に応じて3色に色分けした。「3分で180メートル逃げられる」との仮定に基づき、目標まで3分以内の道路は緑、6分以内は黄、6分以上は赤で示した。自宅などが赤の道路に面している場合は特段の注意が必要で、より速く逃げるか、最寄りの津波避難ビルなどに駆け込むか、対策を考える必要があることが一目で分かる。

 逃げ地図は、東日本大震災の教訓を基に大手設計会社が考案した。避難所の位置などは分かるものの、真っ先に目指すべき場所や避難ルートが分かりにくかった従来のハザードマップの難点を改善した。

 住民自らが逃げ地図作りに取り組むことで、避難の課題をわが事と認識するメリットもある。平塚市災害対策課は市内の自主防災組織などに作製を呼び掛け、昨年11月、市民約200人がワークショップ形式で逃げ地図を作った。

<震災体験者から>

■後悔を繰り返さないで/親友を亡くした 東北文化学園大1年 添田あみさん(19)=東松島市
 東松島市で被災体験を語り継ぐ活動をしています。当時は同市大曲小6年。地震の後、いったん帰った自宅から母と学校に逃げ、間一髪助かりました。

 親友を津波で失いました。迎えに来た親と海岸近くの自宅に戻り、犠牲になりました。私が最期に掛けた言葉は「バイバイ」。あの時、「津波が来るから帰っちゃだめ」と言っていれば…。今も後悔しています。

 皆さんに伝えたい教訓は四つ。「自然を甘く見ない」「命を優先し、避難したら戻らない」「普段から備える」「避難場所を家族で話し合っておく」です。あなたが命を落とすと、遺された人が悲しみます。私と同じ苦しみを繰り返してほしくありません。備えの一歩を踏み出してください。

■最悪考えて 訓練真剣に/自宅を流された 「震災語り部の会ワッタリ」会長 菊池敏夫さん(68)=宮城県亘理町
 あの日は地震後、行政区長と徒歩で避難を呼び掛けて回りました。でも、私自身が「ここには津波は来ない」と甘く考えていたので強くは言いませんでした。結果的に、その時見た姿が最期になった同級生もいます。もっと強く、ちゃんと声掛けすべきでした。

 津波が来る直前、巡回中の消防車に「早く後ろにすがれ!」と怒鳴られ、従いました。避難した町役場支所屋上から自宅が津波で流されるのを見て、やっと事態の深刻さを理解しました。

 災害は「想定外」が基本です。日頃から最悪を想定し、備えておくことが命を守ります。地震後すぐに津波が来る平塚の皆さんは、津波避難ビルも含めて避難場所を定め、避難訓練は真剣に取り組んでください。

■命最優先に今を生きて/両親を失った 高橋匡美さん(52)=塩釜市
 実家の石巻市南浜町に着いたのは震災3日後の3月14日。両親を捜しに入った自宅で母が倒れていました。おちゃめで明るい自慢の母。穏やかな顔でした。

 父を見つけたのは3月26日。遺体安置所でした。変色が進み、ほおは母と違って硬い。「ごめんね…」とつぶやきました。あの日の悲しみ、苦しみは生涯癒えないでしょう。明日が来るのは奇跡なのです。今を大切に生きてください。

 震災の犠牲を無駄にしないためにも確かな備えをしてほしいです。被災地で起きたことを教訓にして備えてください。命を守ることを最優先にして、津波であれば「とにかく逃げる」「逃げたら戻らない、戻らせない」と心に刻み、家族と確認し合ってください。

<メモ>東日本大震災の体験を振り返り、専門家と共に防災の教訓や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。

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