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<311むすび塾>激震への対応に不安/第72回 高知新聞社と共催/@高知・安芸(下)

被災地の経験学び実践

安芸市の津波ハザードマップを囲み、備えの在り方を語り合う参加者=2017年10月29日、高知県安芸市の市防災センター

 河北新報社が2017年10月28、29の両日、高知新聞社と共催して高知県安芸市で開いた通算72回目の防災・減災ワークショップ「むすび塾」で、同市伊尾木地区で行われた夜間避難訓練の翌29日、参加者ら15人が市防災センターで訓練を振り返った。地元の自主防災会役員や消防署員、高校生らに震災経験者が加わり、地域防災力向上の課題についても意見交換。「先進例をまねることが第一歩」「活動の積み重ねが大事」との声が上がり、学びと実践が重要との認識を共有した。

 年6回開催している訓練を体験した市内他地区の自主防役員たちは、一様に驚きの表情だった。「5歳の子が1人で夜の坂道を駆け上がり、継続が力になっていると実感した」と口をそろえた。宮古市田老で被災地ガイドを務める元田久美子さん(60)は「防災意識が高い田老でも避難訓練は年1回。短いスパンで繰り返し、体で覚えることが必要と学んだ」と話した。

 企画した安岡豊さん(54)が「子どもたちを守るため震災被災地の経験と取り組みをまねて始めた」と明かすと、「うちの地区でも試したい」「まず一回実施したい」と意欲的な反応が広がった。

 地域での災害時の協力態勢も議論。地域情報紙「閖上復興だより」(名取市)編集長の格井直光さん(59)は「震災時は、内陸部の町内会が津波で被災した沿岸部の住民を風呂に入れたり食事を振る舞ったりした」と報告した。

 NPO高知市民会議の山﨑水紀夫理事(53)は「被害を受けた沿岸部に外部からはすぐに入れない。地元の内陸の住民が避難者を支援することが求められる」と述べた。

 熊本地震で焦点となった揺れへの対策も話題になり、安岡さんは「東日本大震災の津波と熊本地震の激震の両方の要素を持つのが南海トラフ巨大地震。強い揺れは未経験で、どう対処すればいいのか不安だ」と率直に語った。

 熊本県西原村で自宅半壊の被害を受けた山岡縁(ゆかり)さん(42)=安芸市出身=は、地震当時、つぶれた家から出られなくなった住民8人が地元消防団のチェーンソーで救出された例があったといい、「誰がどこに寝ているかを知っていたことが役に立った」と証言。地域のつながりが災害時に生きると強調した。

住民意識に地域差/自主防リーダーに調査

 河北新報社と高知新聞社は高知県安芸市での「むすび塾」開催に合わせ、市内の自主防災組織リーダーらを対象にした防災意識調査を実施した。地元の津波一時避難場所に「行ったことがある」との回答が9割近くに達した一方、住民の防災意識をどう評価するかは地区によって高低差がみられ、市全体で防災意識を底上げする必要性が示された。

 調査は全7問で、主な結果はグラフの通り。地震の揺れから身を守る備えをしているとの回答が「十分に」「おおむね」を合わせて計37.7%だったのに対し、「あまり」「全く」していないとの回答は計56.6%。津波避難の前提となる揺れ対策に改善の余地があることが分かった。

 住民の防災意識の評価に関しては、津波避難訓練を重ねている伊尾木地区で全員が「普通」以上との認識だったのに対し、市中心部で「普通」以上だったのは計58.4%で、「低い」は計41.6%だった。

 東日本大震災のような津波被災について、伊尾木では、想定しているとの回答が「十分に」「おおむね」を合わせて100%だった一方、中心部は計70.8%にとどまった。防災意識が高いとされる自主防災組織役員でも備えの意識に差が出た格好だ。

 意識の温度差はむすび塾の語り合いでも焦点の一つになり、中心部に住む市安芸一小PTA副会長の藤崎至誠さん(39)は「地域に関心がない人が多い」と指摘。安芸中央自主防災会会長の松本健さん(58)は「おぼつかない面は確かにある。意識を高める機会を設けていきたい」と語った。

 調査は、安芸市で10月10日にあった防災講演会の来場者を対象に実施。53人が回答した。

<震災体験者から>

■想定裏切るのが災害/祖父を亡くした 東北福祉大1年 志野ほのかさん(18)=石巻市
 東松島市野蒜で生まれ育ちました。震災当時は野蒜小6年生。両親は共働きで、学校から帰るといつもおじいさんがいました。

 地震後、近所の人がおじいさんに避難を呼び掛けると、ためらったそうです。私の帰りを待っていたのです。再会は2週間後、ひつぎの中でした。事前に「私は学校で逃げるから、おじいさんも自分で逃げて」と確かめ合っていたら…。悔やまれてなりません。

 地震が来たら津波に用心。海から遠く、高い所に早く逃げる。それを家族で確認しておいてください。

 私自身、指定避難場所だった小学校の体育館で津波に遭い、間一髪助かりました。想定を裏切るのが災害。「ここなら大丈夫」という思い込みは危険です。

■自分の命 自分で守れ/両親を失った 「閖上復興だより」編集長 格井直光さん(59)=仙台市太白区
 東日本大震災の津波で、名取市閖上の自宅に同居していた両親を失いました。震災後、住民有志で「閖上復興だより」を創刊し、編集長を務めています。

 避難行動の遅れが多くの犠牲を生みました。1960年のチリ地震津波で閖上が浸水しなかったため、津波が来ないという言い伝えがありました。ハザードマップの想定も甘かった。

 町内会役員が呼び掛けてもかたくなに避難しない人がいました。一方で、危ないからやめろと止められても高齢者を助けに行った若者が犠牲になりました。

 自分の命は自分で守ることが原則です。他人を助けようとしても限界はある。私自身も「あなたが助かればみんなが助かる」と言い続けようと思っています。

■防潮堤 過信いけない/被災地ガイドを務める 元田久美子さん(60)=宮古市田老
 田老地区には東日本大震災を含め、過去115年の間に3度の津波が襲いました。地区には津波対策として「万里の長城」と呼ばれる巨大防潮堤がありました。津波を止めるのではなく波の勢いを弱め、その間に住民を高台に逃がすのが目的でした。防潮堤を過信してはいけなかったのです。

 残念ながら震災の津波は防潮堤を越え、地区住民4400人のうち181人が亡くなりました。

 2012年4月、震災の記憶を後世に伝え、防災意識を高めてもらう「学ぶ防災」という活動を田老地区で始め、これまで13万人を案内しました。最も重要なのは自分で自分の命を守る意識です。次の災害に備え、教育、訓練、伝承を続けていきたいです。

■ガソリンは満タンに/熊本地震を経験した 山岡縁さん(42)=熊本県西原村(安芸市出身)

 熊本地震で熊本県西原村の自宅が半壊しました。本震が起きた昨年4月16日未明は自宅で寝ていました。ドンという音がして縦横に激しく揺れ、家屋につぶされて死ぬかと思いました。

 鍵を閉めていましたが、家じゅうの窓が開きました。ドアは吹き飛び、ガラス製の照明は粉々になりました。割れたガラスを踏んでけがをした友人もいます。

 子ども4人を連れた避難生活で役立ったのは、車にタオルや毛布、段ボールを積んでいたこと。おかけで寒い夜の車中泊を乗り切ることができました。

 4月14日の前震の後、浴槽いっぱいに水を張ったことも役立ちました。車で移動するため、ガソリンを常に満タンにしておくことも大事です。

<メモ>東日本大震災の体験を振り返り、専門家と共に防災の教訓や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。

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