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<311むすび塾>複数の避難ルート想定を/第67回 東京新聞と共催@東京・墨田曳舟(下)

組織の枠超え つながり深く

避難したルートを地図で確認し合う「むすび塾」の参加者

 河北新報社が2017年5月27日、木造住宅密集地域の災害対策をテーマに東京都墨田区曳舟(ひきふね)地区で開いた防災・減災ワークショップ「むすび塾」で、地震火災を想定して東京都墨田区曳舟地区で行われた避難訓練の後、参加者14人が同区のすみだボランティアセンターに集まり、訓練の成果や課題を語り合った。区や町内会(町会)、社会福祉協議会、まちづくり団体など多様な立場の人がそろい、活発に意見交換。「災害に備えるには組織を超えた連携が大事」との認識を共有した。

 参加者は訓練を振り返り、「家屋の倒壊で通常の避難経路が通れないかもしれない」「強風による飛び火で炎に囲まれる可能性がある」と指摘。複数方向から火の手が迫る火災に対し「指定場所への避難で十分か」との懸念も示され、複数の避難ルートや避難場所を想定しておく必要性を確認した。

 阪神・淡路大震災で2人の弟を亡くした神戸市長田区の介護施設職員柴田大輔さん(29)は、木造住宅密集地域で起きる地震火災の恐ろしさを証言。「災害時は混乱で消防機能がまひする。消火を期待せず、まずは住民が自力で避難することを考えるべきだ」と述べた。

 東日本大震災を経験した語り部3人も加わり、「災害時に何が必要かは、平時に訓練を繰り返して分かるようになる」と備えの重要性を強調した。

 曳舟地区の町会や保育所などは個別に避難訓練を行っており、組織の枠を超えて実施したのは初めて。杉の子学園保育所副園長の石塚千恵子さん(55)は「とても心強い。つながりを深めたい」と語り、町会などからも「今後一緒に訓練したい」「今回構築した関係を生かしたい」と相互協力を誓う発言が相次いだ。

 地域の避難訓練に地元事業所や保護者らの参加を促す声も上がり、祭りなどをきっかけに関係を深めていくことが提案された。

 東洋英和女学院大の桜井愛子准教授は「地域団体同士の連携強化に向け、今回のむすび塾でスタートラインに立った意義は大きい」と評価。東大生産技術研究所の加藤孝明准教授は「地域で互いに協力したいという潜在意識はあるはず。まずはニーズや経験を共有する場をつくることが大事だ」と助言した。

<震災の語り部から>

■平素からの指導 大事/旧門脇小(石巻市)元校長 鈴木洋子さん(66)=石巻市>
 平素やっていることが、いざという時に命を守ります。東日本大震災当時に校長を務めていた石巻市の旧門脇小では「廊下を静かに歩く」「素早く整列する」「教師の話をしっかり聞く」という指導に加え、地震や津波を想定した避難訓練を重ねていました。こうした取り組みが多くの児童を守ることにつながりました。

 自らの判断で行動できる世代を育てることも重要で、そのためには学校と地域が連携して防災教育に取り組むことが大切です。震災時に門脇小児童たちは、高台を求めて3回避難先を変えました。避難経路や場所を複数設定する上でも、地域の協力は欠かせません。地元の地理や地形に詳しい住民の知恵を借り、防災に生かしたいです。

 今回の避難訓練では曳舟(ひきふね)という地名の由来を住民から聞き、(海抜が低く、水害のリスクが高い)この地域の地理や歴史の一端を学びました。地域連携の重要性を実感しました。

 地域の特徴を知ることは地域防災を考える前提条件になると思います。過去に起きた被災状況を先達に聞き、みんなで知恵を出し合う。こうした作業を積み重ねることが災害への備えに役立つはずです。

■犠牲の悔しさ共有を/石巻市大川小6年だった妹を亡くした大学生 佐藤そのみさん(21)=東京都練馬区>
 東日本大震災当時、石巻市大川小6年だった妹を津波で亡くしました。妹の死は今も受け入れられません。もっと優しくすれば良かったと強く後悔が残ります。自宅や学校から海は見えず、津波は全く予想していませんでした。振り返ると、小学校での避難訓練は形式的だったように思います。想定外の事態はいつでも起こり得ます。今回のように子どもと歩く訓練は、備えとして有効だと思います。

 自分の住む地域をよく知ることも重要でしょう。大川小では津波が到達しなかった裏山への避難を提案した児童がいたとも聞きますが、受け入れられませんでした。日頃から避難場所を確認するなどして土地を理解し、情報共有することが必要だと思います。立場や年齢を超えて提言できる関係づくりも大事です。東京にいると、地域との関わりの希薄さを感じます。災害時に助け合いは不可欠。外から来た人と地域をよく知る住民がどう交流するかが課題かもしれません。

 学校の管理下で多くの犠牲者が出た悔しさは消えませんが、いくら嘆いても失われた命は戻りません。誰も同じ思いをしないよう、語り部として防災の大切さを訴え続けます。

■訓練重ね 支援自然に/気仙沼市の水産加工会社係長 藤本考志さん(40)=気仙沼市
 東日本大震災の激しい揺れの中、同僚と目が合いました。その瞬間、「行くか」と合図され、私はうなずきました。向かったのは職場近くの保育所です。

 保育所には当時、0~6歳児の71人がいました。職員は女性のみ12人。私と同僚は、はぐれる子がいないか目を配りながら避難をサポートし、避難先の公民館3階まで園児を抱きかかえて駆け上がりました。

 津波で保育園も職場の「足利本店」工場も全壊しました。公民館にも押し寄せ、2階は水没。最終的に屋上に逃げました。火災も迫り「ここも駄目か」と思いましたが、ぎりぎりのところで助かりました。公民館は結局450人の命の砦(とりで)になりました。

 とっさの行動ができた背景には訓練がありました。保育所は年2回の避難訓練の際、近隣の事業所に協力を求めていました。私も震災前に同僚と2回参加。男手が足りないことや助っ人の役割を知っており、だからこそ、揺れの中でも保育所のことが頭に浮かび、体が自然と動いたのです。

 犠牲が出た現場と、防げた現場の違いはどこにあるのか。震災の教訓を皆さんも考え、訓練を重ねて備えてほしいと思います。

■阪神の教訓 共助大切/弟2人を失った介護施設職員 柴田大輔さん(29)=神戸市長田区
 阪神・淡路大震災が起きた22年前の1月17日早朝、下から突き上げるような強い揺れに襲われました。両親と弟2人の家族5人で寝ていた1階和室にタンスが倒れ、2階部分も崩れ落ち全員下敷きになりました。

 当時1歳の三男の声は直後から聞こえず、3歳だった次男の泣き声も約1時間後から聞こえなくなりました。約6時間後に小学1年だった自分が救出され、続いて父、母と助け出されましたが、自宅は火に包まれました。焼け跡から弟2人が遺体で見つかったとき、「これが弟たちの姿か」と衝撃を受け、心の病にもなりました。

 当時の神戸市長田区は火災がひどかった。墨田区曳舟地区のような木造住宅密集地域で、至る所で火の手が上がっていました。持っていた毛布に火の粉が燃え移るくらいの勢い。逃げ場が限られる中、危険な思いをしながら避難しました。

 災害時に協力して避難したり救助したりするためにも近所付き合いを大切にしてほしい。家族で避難場所を決めておくのも重要です。

 語り部と共に長田区で消防団活動をしています。災害犠牲を減らすため、震災の教訓を伝えて備えの大切さを訴えていきたいです。

<メモ>東日本大震災の体験や教訓を振り返り、専門家と共に防災や避難の課題を語り合ってみませんか。町内会や学校、職場など10人前後の小さな集まりが対象です。開催費用は無料。随時、開催希望を受け付けています。連絡先は河北新報社防災・教育室022(211)1591。

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