<311むすび塾>山間部「自立型」共助へ/第3回巡回ワークショップ@宮城県村田町・足立西地区
自主防災訓練
第3回「むすび塾」は2012年6月17日、減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎理事長を進行役に、宮城県村田町の西足立地区公民館で開いた。参加した足立西行政区の住民9人からは、東日本大震災で経験したライフラインの寸断や高齢化、地域にある村田ダムの決壊などが課題として挙がった。当初は行政の防災対策への不満や要望が相次いだが、議論が進むにつれて、行政に頼らない自主的な備えが重要との認識を共有した。
地区は住民約800人のうち約半数が65歳以上で、1人暮らしも多い。約30人の消防団員はほとんどが地区外で働く。「震災の時、地区内の高齢者と連絡を取る手段がなかった」など、平日の昼間の地域防災を懸念する声が上がった。
地区は震災で水道が長期間使えなくなり、公民館で実施された給水に頼る状況が続いた。震災発生後、行政の情報が届きにくかったほか、救援活動も町中心部に比べて遅く、手薄だったという不満も多く語られた。
意見交換の中で、自宅に井戸を所有している人が多いことが分かり、「何軒かでグループをつくってポンプを新調し、非常時に備えればいい」との提案が出された。
災害時の対策本部設置についても「かつて運動会をやっていた名残で、集落ごとにテントがあるはず。まとめて保管すれば活用できる」との発言に、みんながうなずいた。最終的には、地区全体で消火訓練や食料の備蓄などの防災対策を進める方向で一致した。
防災情報の重要性について、東北大災害科学国際研究所の安倍祥助手(津波工学)は「震災では停電で津波情報が入手できなかったり、海が見えず津波に気付かなかったりした例があった」と指摘。木村理事長は「衛星携帯電話が1台でもあれば、大地震の際にも外部と連絡が取れる。町に配備を要望してみてはどうか」と助言した。
震災では、須賀川市の藤沼ダムが決壊し、流域の住民8人が死亡・行方不明になった。公民館から約2.5キロ北西にある村田ダムの決壊の可能性や、想定される被害にも関心が集まった。村田ダムの近くにある活断層を不安視する人もいた。
東北大の風間聡教授(水工学)は「村田ダムは1957年の設計基準設定後に建設されていて、簡単に壊れるとは考えにくい」と説明する一方で、避難場所の確認など万が一への備えの重要性も強調した。
国内のダムは決壊しないことを前提に建造されているため、下流の地域のハザードマップ作成の前例が無いことを明かすと、参加者は驚いた様子だった。
<専門家から>
■ダムの耐震性、検証急務/東北大大学院工学研究科教授(水工学)風間聡氏
昨年3月11日の揺れで決壊した須賀川市長沼の藤沼ダムは、土を台形状に盛った「アースフィル」というタイプ。村田ダム(宮城県村田町)を含め全国に多数点在しており、耐震性が十分かどうか検証が急務だ。
決壊は震度6強という強い揺れと地質の弱さが重なった。流出した水は流域の木々も流し、家屋を破壊したほか、流木が橋に詰まって水があふれる被害も発生した。
耐震性の目安となるのが、ダムの設計基準を定めた1957年以降に施工されたかどうか。藤沼と村田は、ダム形式が同じだけでなく、貯水容量や流域面積も似ているが、建設時期は異なる。村田ダムは基準制定後の72年に建設が始まり、79年に完成した。
一方、藤沼ダムは49年の完工。福島県内で57年以前に完成したダムは藤沼ダムを含め、調査した11カ所中9カ所で一部崩壊などの被害があった。
地震後に高さ10メートルもの泥流が集落を襲ったのは10分ほど後で、避難できる時間は少ない。流域住民はいざという時に備え、強い揺れが起きたらどこに逃げたらいいか地域で話し合ってほしい。ダムを管理する国や行政は耐震検査に加え、住民に決壊を知らせる警報システムを整備すべきだ。
■孤立前提に自主防災組織を/減災・復興支援機構理事長 木村拓郎氏
災害時の行政の救援は中心部が先になり、足立西地区のような山間部は遅れがちになる。孤立状態に陥ることを前提に、1週間は救援なしでも大丈夫なよう「自立型」の防災対策を講じるべきだ。
震災後、各家庭で備蓄や家具の固定にしっかり取り組んでいるのはすごい。今後は地区全体で助け合い、危機を乗り切るために自主防災組織の設立が不可欠だろう。
災害が起きたら組織が対策本部を設け、安否情報を集約すれば行政とのやりとりもスムーズになる。避難所を決めておき、炊き出しなどの訓練もやっておけばよい。万一の村田ダム決壊に備え、緊急避難する場所も選んでおくことも勧める。
装備面では、各地域で十分な数の自家発電の装置を確保するほか、投光機も非常に便利なので導入を検討してほしい。
<メモ>東日本大震災の教訓を生かすため、河北新報社は地域住民らと一緒に地震・津波に備える巡回ワークショップ「むすび塾」を開いています。名称には、地域と人、人と人のつながりを強め、防災・減災に結び付けていきたいとの思いを込めました。