閉じる

踏切や線路の名残随所に 【特集】廃線跡を歩く

大きい写真は1995年のJR仙石線宮城野原駅前。小さい写真は現在の風景。線路わきの侵入防止柵や左側の民家が当時のまま残る(紙面に掲載した仙石線の過去写真はすべて庄子喜隆さん撮影)

 さまざまな歴史の痕跡を巡る街歩きが静かなブームという。鉄道が趣味の人には廃線跡巡りがお勧め。詳しい人たちと一緒に痕跡を訪ね歩いた。

踏切や線路の名残随所に

<JR仙石線 陸前原ノ町-宮城野原>

 2000年に地下化されたJR仙石線の仙台―陸前原ノ町駅間。それから約23年、地上線路跡はどうなっているだろう。「線路は残っていないけれど、痕跡ならあちこちにあります」と話すのは、印章店「仙章堂」(宮城野区)の庄子喜隆さん。フィルムカメラの時代から仙石線はもちろん、仙台市電など多くの鉄道を撮影し写真集も出版。鉄道の歴史をよく知る、この道の達人だ。その庄子さんに、陸前原ノ町駅(1)から宮城野原駅にかけての旧線跡を案内してもらった。

案内してくれた庄子さん。店には仙台市電の警笛など貴重な史料が展示されている
(1)陸前原ノ町駅の過去(左、1995年)と現在。駅舎はやや南寄りに移動した

 「ここ陸前原ノ町駅は昔、仙石線の車両基地がありました。基地は駐車場に、線路は道路になり、道路のカーブはほぼ線路をなぞっています。当時の住宅も残っているので当時の風景を想像しやすい。そして一番分かりやすいのがこれ」

 そう庄子さんが指し示した地面には1枚のプレート(2)。「踏切跡の銘版です。廃線ウオークの良い目印になります」

(2)仙台方面を背に陸前原ノ町駅方向を見る。道路のカーブが旧線と一致するという。右は踏切跡に設置された銘板

石垣に埋まった丸太

 当時の写真と照らし合わせながら、どんどん線路跡をたどる。やがて大きな道路に出る。信号を渡れば宮城野原駅。街並みも新しめで痕跡などないのでは。

 「ここも踏切跡で、住宅の擁壁に見えるのは仙石線の石垣です。そして、ほらここ」

 庄子さんの横にあるのは…、丸太?

 「ここはかつての下山通り踏切(3)で、丸太は架線柱。石垣に埋まった部分は倒壊の危険がないとして、残したんでしょうね」

(3)かつての下山通り踏切(右)にあった架線柱の一部が残っている

 旧宮城野原駅舎付近へたどり着く。駅舎だった場所は住宅が建ち、手前は空き地になっている(4)。

 「ここが東街道踏切跡で、痕跡はこの侵入防止柵。レールが使われているんですよ」

 当時の塗装が残り、朽ちてもいないのはさすが鉄道設備か。最後に庄子さんに、痕跡探しのこつを聞いてみた。

 「当時あった建物が消えるなど、風景はどんどん変わる。鉄道の名残もいつまであるか…。今ある痕跡は今しか見ることができないくらいの気持ちで、思い立ったら即行動が大切です」

(4)侵入防止柵のくいにはレールが使われている
(4)旧宮城野原駅前をかつてレールがあった場所から撮影。駅舎やホームがあった所には民家が建っている

鉄路の歴史 若い世代も魅了

(1)廃線巡りのスタートは「中央三丁目」停留所のあった交差点から(2)ビル建設現場に市電の記憶を伝える掲示物が(3)かつての郵政局前停留所辺りには、旧東北郵政局(日本郵便東北支社)など当時のままの建物がいくつも残る (4)1944年まで市電が延びていた芭蕉の辻 (5)市電の碍子などが残る片平丁小学校前歩道橋

<東北大鉄道研究会と探す 仙台市電跡>

 鉄道の痕跡をもっと知ってほしい。そう願い活動する若い人たちがいる。東北大の鉄道研究会は廃線跡をテーマに特集誌を制作中だ。なぜ当時を知らない世代が興味を持つのか。会長の中山旺弘さん、副会長の遠藤功一さん、会員の森屋朝陽さん(尚絅学院大)に話を聞きながら、2025年に廃止50年となる仙台市電の路線跡を、南町通にあったかつての停留所「中央三丁目」から「裁判所前」辺りまでたどった。

東北大鉄道研究会の(右から)中山さん、遠藤さん、森屋さん

 まず聞いたのは、なぜ廃線を追いかけようと思ったのか。

 「痕跡探しをしたいと1年生たちが熱望したのと、今年は会員数が43名と多いので、資料集めなど調査がやりやすかったのが理由です」と中山さんは話す。取材は市電だけはなく、仙石線や旧くりはら田園鉄道(愛称くりでん)、各地の軽便鉄道など広範囲に及んだという。

(2)ビルの建設現場には市電が走っていたことを伝えるパネルが掲げられていた(9月30日撮影)

 話しながら仙台駅前から南町通を進む。東四番丁通との交差点付近で工事中のビル建設現場には、市電の記憶を伝えるパネルが掲示されていた(2)。移ろいの早い中心部。半世紀近く前の痕跡をどう探すのか。

 
 「航空写真をよく使います。広い車道の中央分離帯がなかったり、不自然に曲がったり狭くなったりする所が怪しい」

 市電を主に担当した森屋さんがそう言い、中山さんがタブレットで画像を見せてくれる。確かにあちこち妙な部分がある。

 「気になった地点はデータを基に古地図や写真と照合して、停留所など正確な位置を特定します」と遠藤さん。さすが若い人たちはツールの使い方が巧みだ。

歩道橋に停留所の階段跡

(4)芭蕉の辻交差点を青葉通方面から撮影。道幅が唐突に狭くなっており、これがここまで市電が延びていた痕跡だという

 市電現役時代からある建物などを見ながら通りを進む(3)。

 「痕跡として最も分かりやすいのがこれでしょう」と森屋さんが示すのは、片平丁小学校前歩道橋(5)。

 「ここは市電の現役時代からあり、停留所へ降りる階段跡と(架線の絶縁体)碍子が残っています」

 確かに何かを切断したような跡があり、目を凝らすと白い磁器のような丸い物が見える。廃止から間もなく半世紀。分かりやすい痕跡が残っていることに驚いた。

(5)歩道橋に残る市電の痕跡を説明する森屋さん。右下は「碍子」、左下は停留所へ降りる階段の切断跡

 最後に、鉄道痕跡探しのだいご味を聞いてみた。

 「自転車で街を走ると、ふいに不自然な道路に出合う。そこから想像を膨らませるのが楽しい」と森屋さん。

 「WEBサイト上の地理院地図には年代順に航空写真を表示する機能があり、これで路線を追いかけると面白い」と中山さん。

 「鉄道の歴史は街の歴史。廃線跡をたどれば街の移り変わりが理解できます」と言う遠藤さんに2人も、そうそうとうなずいていた。

(河北ウイークリーせんだい2023年10月26日号掲載)

関連タグ

最新写真特集