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失敗しないと学べない 【特集】人生は敗者復活戦

タイトルは須江監督

 今年も残りわずかになった。県内ニュースでは、仙台育英高の夏の甲子園準優勝が、昨夏の優勝に続く快挙だった。須江航監督が決勝戦直後に語った「人生は敗者復活戦」は、世代を超えて共感を呼んだ。このフレーズの意味を改めて考え、体現している人たちを追った。

つらいときこそ笑顔で | ストロベリーコーンズ社長 宮下 雅光さん(73)

イートイン席を設けた「ナポリの窯・ストロベリーコーンズ仙台西店」(仙台市青葉区)のスタッフと話す宮下さん

 ストロベリーコーンズは、仙台市に本社を置き、全国にフランチャイズ展開する宅配ピザチェーン。その創業者が宮下雅光さん(73)だ。「危機を脱したと思ったら、また試練がやって来る。その繰り返しだ」と笑う。

抱えた借金2億円

 外資のコンピューターメーカーに勤めていた宮下さんは、家の都合で退職。仙台に戻り1976年、喫茶店を開いた。最新の洋楽を聴けるようにして若者が集まる人気店に。しかし、店舗を増やした際に失敗。2億円の借金を抱えてしまった。

 資金繰りが厳しく窮地に立たされたが、偶然にも店舗の保証金が返ってきて苦境を脱した。

 「客を待つのではなく、お客さまの近くに行こう」と宅配ピザを始めた。

「自己否定」が鍵

 次の試練は2003年。社業は順調に売り上げを伸ばしていたが、業界の価格競争に巻き込まれ、再び窮地に。借金は17億円に膨れた。

 突破の鍵は「自己否定」だ。多かったメニューを半分に減らして字を大きくし、メニュー表を見やすくした。時間がたってもおいしく味わえる生地の開発を進め、新業態「ナポリの窯」をオープンさせた。宅配ピザの各種ランキングでは上位の常連だ。

 逆境の時、社員の前では笑顔で振る舞うことを心がけた。「つらいときこそ笑う。自分の強みを考え、打開策を必死に考えた」と振り返る。周囲の意見をまとめる際は引き算を意識した。「本当に必要なものを決め、少しずつエキスを入れていく」のがコツだという。

 禅宗の言葉「照顧脚下」を大事にしている。「大変な時こそ足元を照らし、見つめ直して歩むことが重要だと思う。苦しんでも必ず打開策があると信じて、前向きに取り組むことが一番だ」と語る。

ピザ事業を軌道に乗せ、味の向上のためイタリアで視察先に向かう宮下さん=1995年
ストロベリーコーンズ
ナポリの窯

第二の職場 素早く決断 | 元ベガルタ仙台選手、中華料理店経営 菅間 望さん(45)

「長く選手を続けたとしても、最後は料理の道を選んだと思う」と話す菅間さん

2年で戦力外通告

 「次のステージを考える時、サッカーという選択肢はなかった」。果敢なドリブルが持ち味だったベガルタ仙台の元FW菅間望さん(45)は、2年目のプロ生活を終えようとしていた2002年11月、球団から「戦力外通告」を受けた。小、中、高校のどの年代でも宮城県選抜チームに選ばれ、東北学院高―順天堂大の順調なサッカー人生だったが、2年目は腰の痛みで思うようなプレーができないでいた。

 チームは前年に悲願のJ1昇格を決め、FWにマルコス、元日本代表山下芳輝らそうそうたる選手がそろった。それでも初参入のJ1では16チーム中13位と苦しみ、菅間さんは新たな戦力確保に動く波にのまれた。

 後悔はあったが、「俺を使え」と首脳陣にアピールするほど積極的ではなかった。「小さなチャンスをつかみきれなかった」と、自分の力不足を痛感し、現役引退した。

好きな料理の道へ

 切り替えは早かった。「サッカーで負けた時、反省点を踏まえつつ、気持ちはリセットしていた経験が生きたと思う」と振り返る。

 親戚を頼って九州の貿易会社に就職。中国と行き来し、食材を取り寄せ、加工食品の開発・製造・デザインを担当した。高級から庶民レベルまで現地の中華料理を食べ歩いた。

 「サッカーと同じぐらい料理が好きだった」ことから7年勤めて退職。知り合いが経営した中国・青島の飲食店で修業として無給で働いたが、2年で閉店に追い込まれた。

 8年前、仙台に戻って中華料理店で働き、コロナ禍の20年8月、青葉区中央に「大衆中華ちんまや」を開店。マーボー豆腐を中心に昼時には行列ができる人気店に成長。たれや餃子といった加工食品の販売にも力を入れる方針だ。「体は衰えても心は強いままでいられるはずだ」と目を輝かせる。

ベガルタ仙台の選手時代の菅間さん。地元出身の大型新人として周囲の期待が大きかった

<大衆中華ちんまや>
仙台市青葉区中央3-9-16 
TEL022-214-7396
営/平日11:00~LO14:00、17:30~LO23:00
  土曜14:00~LO22:00
休/日曜、祝日

危機脱出へ改善続ける | 寒梅酒造 5代目蔵元 岩﨑 真奈さん(39)

社長を務める岩﨑健弥さんと日々、蔵の改善策を話し合う真奈さん(右)

家業を継ぐ気なし

 日本酒の蔵元の長女として生まれた岩﨑真奈さん(39)は、親族が経営していた酒造業を継ぐ気持ちはなかったという。大学でも心理学を専攻していた。

 転機になったのは大学3年。母から、家業が廃業直前にあることを知らされた。

 「負けず嫌いで、このまま終わらせなくなかった」と、蔵を継ぐ決心を固めた。当時交際していた夫の健弥さん(39)と一緒に大学卒業後の2008年4月に入社した。

 真奈さんが経営全般、健弥さんが製造・営業と役割分担したが、どちらも荷が重かった。

 「入社してすぐに、商品や帳簿の管理の甘さなど、課題が山積していることが分かった。もし、外で就職していたら後を継ぐとは言わなかった」と言うほど深刻な状態だった。

 長男の出産を挟みながら、立て直しのため改善を重ねた。

 11年3月の東日本大震災で、蔵の施設に大きな被害が出て、ますます窮地に陥り、事業継続を諦めかけた。しかし、健弥さんや地域の人たちに勇気づけられ、クラウドファンディング(CF)などを契機に設備を更新した。

自社の強み生かす

 「こころに春をよぶお酒。」をコンセプトに、自家栽培のコメと目の前を流れる鳴瀬川の伏流水を使った自社の酒の強みを生かし、種類を絞り、高品質な商品づくりに力を入れた。

 蔵見学を積極的に受け入れて日本酒ファンを増やす取り組みを続け、今年3月には、本社敷地に米こうじや酒粕を使った菓子を販売するおやつ工房「ハルリッカ」を開くなど、経営の転換を進める。

 真奈さんは「コロナ禍も苦しかったが、立ち止まっていては駄目。必ずスタートラインに立てる時が来ると信じて、挑戦を続けている」とプラス思考で物事に当たる。

入社して間もない頃の真奈さん(中央)と健弥さん(左)

<寒梅酒造>
大崎市古川柏崎境田15
TEL0229-26-2037
営/10:00〜17:00
休/臨時休あり、ハルリッカは月曜

寒梅酒造

失敗しないと学べない | 仙台育英高硬式野球部監督 須江 航さん(40)

「どれだけの数を失敗したかによって、その人の価値、積み上げてきたものが分かる」と語る須江監督

<挑戦すること 恐れずに>

 ―「人生は敗者復活戦」は、昨夏の「青春は密」に続き、大きな反響がありました。

 閉会式を待っている短い時間に取材で答えた言葉が、広く浸透していて驚いた。以前勤めた系列の秀光中や、育英の生徒には、選手として活躍できず、人生でほとんど勝ったことがない私の座右の銘として時々紹介している言葉だ。

 ―「人生は敗者復活戦」の真意は。

 これまで中高生と接していて、若い世代が「ビジネスやスポーツの成功者は、サクサクと物事が運んで挫折がない」と感じているようで、気になっていた。でも、学力が高くても、体格に恵まれていても、うまくいくとは限らないのが人生だ。

 どの分野でも、成功には再現性がないが、失敗には再現性がある。成功からはほとんど学べないが、失敗から学べることは多いと伝えたかった。

 ただ、世の中はSNSなどを通じた成功体験があふれ、「挑戦=成功」でなければ恥ずかしいという意識があるかもしれない。コロナ禍で多くの機会が失われた。挑戦することを恐れないでほしい。

 ―昨夏の甲子園制覇直後にも、選手に「今が人生のピークになるとつまらない。早く次の目標を見つけよう」と語りかけました。

 
 「いつのタイミングで言うか」は、「誰が」や「何を」よりも重要だ。昨夏、今夏とも伝えるのが1日遅かったら選手の心に響かなかった可能性があるからだ。

 この夏は最終的な結果以外は、限りなく満足している。選手には長い人生の中で、「負けた意識」にとらわれてほしくない。むしろこれを糧に頑張ろうと思わせたかった。

 当初は学力がそれほどでもなくても、努力を重ねて医者になった生徒が何人かいて、次のステージで花を咲かせている。こうした姿に励まされている。

(河北ウイークリーせんだい2023年12月21日号掲載)

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