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日本フェンシング協会長 千田健一さん 苦悩の決断、五輪諦め古里へ<みやぎ ひと 道[3]>

 1980年モスクワ五輪のボイコットは、大きなショックと喪失感をもたらした。思い悩んだ末、4年後のロサンゼルス五輪への出場を諦め、古里・宮城県で教職に就く道を選ぶ。25歳の決断だった。

 五輪ボイコットで、大きな心の傷というんですか、そんなものを抱え、選手団も解散しました。帰る場所は職場、宇都宮市の…

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