日野藤吉(ひの・とうきち)―梨農家(利府町)― 利府梨栽培の基礎築く

日野が最初に植えた梨の古木=利府駅前2号公園
今年も特産の梨が実った町内の畑
日野藤吉

 利府町の道路沿いに季節限定の直売所がオープンすると、秋の訪れを感じる。店頭を飾る丸々と大きな梨を求め、町内外から多くの人が集まる。

 町の特産品となった梨を初めて栽培したのが、日野藤吉(1849~1925年)だ。旧利府村に生まれ、同村の農家日野家の婿に入った。農作業に明け暮れ、何とか食いつないでいた。

 転機は1884年に訪れる。冷害でコメが不作になり、収入がコメ頼みだった利府の農家は困窮した。

 苦しい日々の気晴らしにと、日野は石巻へ趣味の釣りに出掛けた。道中、たわわに実を付けた梨の木に目を奪われた。同時に、痩せた稲穂が揺れる利府の田んぼを思い浮かべた。「コメが不作でも梨を栽培すれば収入源になる」。この時、確信した。

 子孫の日野明夫さん(72)は「得意げに村に帰ったことだろう」と、藤吉の心境を思い測る。

 しかし、日野は村民の冷たい視線にさらされ、厳しい批判を浴びる。「藤吉は頭が狂ってしまった」「先祖代々の田んぼが泣くぞ」。それでも20アールの水田をつぶし、150本の梨の木の苗を植えた。

 「梨が収穫できるまでに数年はかかる。食糧不足の中、水田をつぶして収穫量を減らすのは自殺行為。批判も当然。相当な信念を持って挑戦したのだろう」と、明夫さんは話す。

 数年後、梨が実った。飛ぶように売れ、コメの数倍の収入が得られたという。

 村民も日野に倣い、梨の栽培を始めた。利府は平地が少ないため、山を切り開いて梨畑の開墾が進んだ。

 日野は、かつて自身を批判した村民にも栽培方法を教えた。農薬や肥料が買えない農家には、資金を融資したという。

 現在、利府駅前2号公園に1本の梨の木があり、太い枝を四方に広げて実を付ける。日野が136年前に植えた150本のうち、唯一残った古木だ。日野をたたえた石碑が傍らに立つ。

 町によると、1965年には355戸の農家が54ヘクタールで梨を栽培していたが、後継者不足などで2020年には62戸、19ヘクタールに減った。

 町の梨農家でJA仙台利府地区梨部会長の赤間良一さん(65)は「今こそ日野のフロンティア精神を見習うべきだ。6次産業化などに挑戦し、再び利府梨を盛り上げる」と意気込む。
(多賀城支局・石川遥一朗)

[メモ]利府駅前2号公園にある梨は1990年ごろ、日野が最初に植えた場所から公園に移された。実は酸味が強く、現在はほとんど食されていない。梨の品種改良が進み、同町では、あきづきや長十郎、幸水など30種以上を生産。昨年度は概算で520トンの収穫量があった。

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みやぎ 先人の足跡

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