名取春仲(なとり・はるなか)─天文暦学者(大崎市岩出山)─未来予測の学問目指す

名取春仲筆の坤輿万国全図(仙台市博物館提供)。西日本に残る模写図と異なり、日本の地名を改訂しており、春仲一門の工夫がうかがえる
名取春仲の門人が建てた顕彰碑。「日本☆安家天文道輔佐役天文生」とある

 「昔の暦は占いの要素が強かった。春仲が目指したのは未来を予測する学問だった」。仙台藩に天文学を広めた「天文暦学者」の名取春仲(1759~1834年)。名取春仲研究会会長の黒須潔さん(55)=仙台市=は、科学としての天文学だけではなく、占星術や神道、陰陽道(おんみょうどう)を含む「天文道」を探求した春仲の学問を、こう解説する。
 春仲は大崎市岩出山の造り酒屋に生まれた。日本独自の貞享(じょうきょう)暦を作った幕府の天文家、渋川春海を師と仰ぎ、「安倍家天文道」を学んだ。教えは仙台藩士や山形の豪商にも広がった。
 栗原市一迫に門人が建てた春仲の顕彰碑には「安家天文道輔佐(ほさ)役天文生」と刻まれている。陰陽道の本家、土御門家(安家)に認められ、東北の代理人として活躍した証しだ。
 「春仲は70歳で京都の土御門家に出向き、天文道の講義をした。学者の道を究めた」。春仲の姉の子孫で岩出山で写真店を営む名取吉蔵さん(73)は、そう評する。近年は陰陽道研究家からも注目される存在。2009年発行の岩出山町史でも業績が評価された。
 しかし、その前の町史では、寺子屋の師匠の1人という程度の評価にすぎなかった。再評価に導いたのは、仙台市博物館も収蔵する「坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)」だ。元々は、イタリア人宣教師マテオ・リッチが1602年に中国で作った世界地図で、日本でも模写図が複数描かれた。
 地理学研究者の故青木千枝子さんが、春仲一門が所持した模写図が4点あることを突き止めた。仙台藩で春仲と門人により天文学が発展したことが分かった。
 青木さんは30年前、春仲門下の須江充頼の子孫、須江敏信さん(74)を訪ねた。自宅に坤輿万国全図が残され、一族には春仲一門が使った天球儀や地球儀も伝わっていた。
 敏信さんは「春仲と同志が岩出山に集まり、競い合う素晴らしい環境があったと思う。学ぶ姿勢を岩出山の子どもたちに知ってほしい」と願う。
 須江家に伝わった文書と、春仲の門人だった大江家で発見された文書も、大崎市教育委員会と黒須さんが解明を進めている。
 春仲の残した文書で興味深いのは、当時広く学ばれていた本居宣長の国学への批判。「春仲の学んだ神道は日本書紀がベース。(中国の影響を排除した)古事記がベースの宣長とは相いれなかった」と黒須さんは推測する。
 他藩に比べ、仙台藩で天文道が発展した背景や理由などは解明されていない。「春仲の人物像をさらに探り、仙台藩の天文道の全容を明らかにしたい」。黒須さんの研究は続く。
(加美支局・阿部信男)

[メモ]安倍家天文道は安家天文道とも呼ばれる。陰陽師安倍晴明の流れをくむ朝廷の暦職家、土御門家に伝わった天文学と陰陽道。渋川春海(1639~1715年)が継承、発展させた。春海の業績は冲方丁の小説「天地明察」で分かりやすく紹介しており、岡田准一主演で映画化もされている。名取春仲については、岩出山町史資料集「天文暦学者 名取春仲と門人たち」が詳しい。

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