東日本大震災から9年9カ月。震災で人口減少と高齢化が加速した被災地で新たなまちづくりが進む。多くの人を呼ぶ仕掛けや地域資源の活用、魅力の発信-。第6部は山積する課題と向き合い、地元に根を張りながら奮闘する人々の姿を描く。
「世界で一番面白いまちを作ろう」。そんな合言葉を掲げ、仲間たちと走る。
11月中旬の夜。宮城県石巻市中心部で、市民らがまちの未来を語り合うイベントがあった。主催した一般社団法人「ISHINOMAKI2.0」代表理事の松村豪太さん(46)=石巻市=が力を込めた。
「港町らしく繁華街に夜の店が密集し、外国人がバーホッピング(はしご酒)を楽しめる。このまちは多くの可能性を秘めている」
イベント会場の「IRORI石巻」は2.0の活動拠点。津波で被災したガレージを改装し、誰でも使えるシェアオフィスとして2011年12月に開業した。カフェやホールも備え、さまざまな催しが開かれる。
周辺には空き店舗を修繕した「復興バー」、空き家を改修し若手芸術家らに貸し出す不動産会社、元書店を活用した本棚付きの交流スペースがある。どれも2.0の活動から生まれた。
最大被災地・石巻で実現させたプロジェクトは100を超す。「独創的な場所が増え、震災10年を前に理想の姿に近づきつつある」。松村さんは手応えを語る。
東北大大学院修了後、石巻に戻り、高齢者らの運動計画などを手掛けるNPOで働いていた。
当時の石巻を「閉鎖的でつまらないまち」だと思っていた。「高等遊民気取り。世の中を斜めに見ていた」と振り返る。
あの日、市中心部のNPO事務所で巨大な揺れに襲われた。津波が建物1階の天井まで迫り、避難した2階で不安な夜を明かした。翌日、眼前はヘドロの干潟のよう。車が積み重なり、船が横倒しになっていた。
地震発生時から「ただ事ではない」と感じ、手持ちの小型カメラで周囲を撮影した。3月下旬からNPOのブログに画像を載せ、被災状況を発信し続けた。反響とともにボランティアの希望が寄せられ、家の泥かきが必要な被災者を紹介する窓口を担った。
石巻を訪れた首都圏の建築家や都市計画の研究者、市内の若手経営者と知り合った。昼は一緒にヘドロをかき出し、夜は被災した飲食店の2階で鍋をつついた。明かりもつかない中での「闇鍋」。泥の中から見つかった店の酒を酌み交わし、まちの将来を話し合った。
「バーやフリーペーパーを作ったら面白い」「海外にあるようなゲストハウスを整備しよう」。刺激的なアイデアに触発され、希望が湧いてきた。
しがらみのない今、この仲間たちとなら石巻を変えられる。震災前を「1.0」だとしたら、そこには戻したくない。新しい石巻へのバージョンアップを目指して11年5月、2.0を設立した。
松村さんが活動に奔走する中、国内を代表する音楽プロデューサーが被災地支援に頭を巡らせていた。2人の思いがつながり、延べ40万人以上を石巻に引き寄せるイベントとして結実することになる。
(氏家清志)
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