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復元船バウティスタ号、新年度解体 新たな船出

原寸大として最後となるライトアップの光をまとう復元船
濱田館長
【写真1】村上造船で建造中の復元船=1992年8月19日
【写真2】多くの市民が歓声を上げた進水式=1993年5月22日
【写真3】6枚の帆を張る総展帆の雄姿=2006年10月9日
【写真4】東日本大震災の津波に耐えた復元船=2011年3月17日
【写真5】復元船を含め修復を終え再開したサン・ファン館=2013年11月3日
【写真6】慶長遣欧使節の帰国400年を記念した出帆記念祭で伊達武将隊が演武を披露=2020年11月3日

 夕闇がその色を濃くする中、黄金色に輝く帆船がくっきりと浮かび上がる。石巻市の宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)に停泊する復元船サン・ファン・バウティスタ号だ。老朽化のため惜しまれつつ、原寸大の復元船は2021年度に解体される。24日までのライトアップは現代の光、発光ダイオード(LED)が彩る。建造されて28年。石巻から太平洋へと出帆し、西洋との結節点を模索した使節船の意義を現代に問い、併せて観光施設として大いなる歴史ロマンを発信してきた。足跡を振り返りたい。東日本大震災から10年のことし、サン・ファン号は新たな船出を目指す。新時代、再び私たちは乗組員として立ち会い続ける。

 サン・ファン・バウティスタ号の復元事業と、復元船をメインとしたサン・ファン館は、大航海時代のさなか日本が世界とどう向き合うか模索した時代と、その背景を探る知的航海へと人々をいざなってきた。

 国内で復元させた最大で最後の木造洋式帆船という快挙とともに、歴史的意義と物語を総合的に体験できる空間を提供。さらに石巻地方にとって最もエポックな観光施設としての役割も担う。

 毎年開催されるサン・ファン祭りは「わがまち」の宝を誇りとし、胸を張る祝祭であり、さらに訪れる人を温かく迎えるホスピタリティーの醸成にも大いに貢献してきた。

 建造技術、維持などの問題からサン・ファン号は原寸大の時代を終える。残念な思いは誰しも同じ。雄姿を目に焼き付けようと来場者が相次いでいる。

 今、あらためて400年前の先人の思いを知り、その歴史的意義を考察する博物館としてサン・ファン館の役割は新しい段階へと進む。

 折しも震災から10年の節目。展示の仕方も、優れた仮想現実(VR)技術の活用を含め、使節団の一員として大海原に身を置く体験などはできないものか-と夢は広がる。

 新時代にふさわしい施設として、市民総ぐるみで再構築する気概が求められる。あの日、あの時、石巻から世界へと羽ばたいた人々の群像と、時空を超えて相まみえる場へ。

 いざ、帆を上げる。


■寄稿:サン・ファン館 濱田直嗣館長
「サン・ファン号とミュージアムが目指す新しい姿」

 
 本年3月末に復元船・サン・ファン・バウチスタ号は公開を終える。

 慶長遣欧使節を体現するために、今から30年前に復元されたこの船は、その後に新事実が相次いで明らかにされ、また国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界記憶遺産に認定されるなど、歴史・文化・国際親善に結びつく多彩な意義を加えながら、訪れる多くの人々の感動や希望を生みだす使命を果たしてきた。

 東日本大震災では係留ドックに押し寄せた8メートルの津波に耐え抜いた。その情景がちょうど400年前に襲った慶長三陸大津波を乗り越えて敢行された使節派遣の、大災害から再生する目的に結びつき、「復興のシンボル」となされて、再生を誓う私たちに勇気を与え続けた。

 昨年9月に仙台市で行われた「使節帰国400年記念式典・シンポジウム」では、史実の今日的な意義と次へ向かう課題が提起されて、顕彰の重要性が再確認された。同時期に石巻市で催された小中学生「サン・ファン号を未来におくる絵画・デザインマーク・作文コンクール」では、若い世代の熱く深い関心に接することもできた。

 絵画では、復元船に出合った感動、海のかなたへはせる夢、異国への憧れが、まさに時空を超えて画面に踊っており、作文では、かつての復元船造船に曽祖父が加わった生徒の思いが、誇らしくつづられていた。

 今回のリニューアルでは、これまで主役の座にあった500トン原寸大のサン・ファン号は、造船技術が国内には見いだせないなどの紆余(うよ)曲折を経て、縮小せざるを得なくなった。開館時の歴史解釈によった展示は、大きく進展した現代の知識や技術を踏まえて再構成する時期を迎えていた。新型コロナウイルス問題も、多岐にわたる検討を迫る。

 これらの課題が重なるなかで、新しいサン・ファン館はより充実して楽しい場を提供するよう努めなければならない。船の大きさに頼らずとも、伊達政宗と支倉、仙台藩の人々が挑んだ慶長遣欧使節の広大な歴史空間や、石巻の大地と海と人が生みだした豊饒(ほうじょう)な恵みは、感動と自信と希望を抱かせるテーマを存分に与えてくれる。

 降り注ぐ陽光とそよぎくる潮風を身に受け、大海原を望みながら先人たちが創出した歴史や文化そして産業や風土を満喫する。開館以来培ったこのような特長をさらに深化させた後継船とミュージアムの姿を、2024(令和6)年度には披露できるように努めたい。


<支倉常長と慶長遣欧使節団の歩み>
▽1611(慶長16年)

 仙台藩主伊達政宗は、来日したスペイン人大使ビスカイノ、同行の宣教師ソテロをもてなした。ビスカイノ仙台滞在中、支倉常長は、不在の政宗に代わり重臣から造船やメキシコとの通商を望む話を聞く。

 政宗は、仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにメキシコとの直接貿易を求めて、スペイン国王およびローマ教皇のもとに外交使節団の派遣を決める。常長はその大使という大役を任ぜられる。
▽1613(慶長18年)

 政宗はローマ教皇、スペイン国王への手紙を書き、常長ら使節団は、宣教師ソテロとともに洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」で牡鹿半島の月浦を出発、太平洋を渡る。
▽1614(慶長19年)

 一行はメキシコのアカプルコに到着。使節団はメキシコ市入り。その後、スペイン艦隊に乗りメキシコを出発し、キューバのハバナへ。さらにハバナを出港、スペインに到着し首都マドリードに入る。
▽1615(元和元年)

 国王フェリペ3世に謁見、ローマに入り教皇パウロ5世に拝謁(はいえつ)。常長は洗礼を受ける。
▽1620(元和6年)

 幕府のキリスト教弾圧などから目的を達することができず、常長ら使節団はソテロをマニラに残し、買収されたサン・ファン号に代わる船で帰国。仙台に戻る。
▽1621(元和7年)

 常長死去。


<バウティスタ号とサン・ファン館の歩み>
1990年
▽3月 地域活性化懇談会と文化の波・文化の風起こし懇談会から復元への提言
▽12月 慶長遣欧使節船復元準備会が設立
1991年
▽8月 準備会が慶長遣欧使節船復元協会に名称変更し、設立
1992年
▽3月 石巻市が復元船の係留地を渡波大森地区に決める
▽4月 石巻市中瀬の村上造船所で復元船の起工式、建造開始【写真1】▽10月 天皇・皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)、造船現場ご視察
1993年
▽5月 村上造船所で進水式【写真2】
▽10月 石巻漁港西港で完工式後、仙台港でサン・ファン・フェスティバルが開かれ9日間で約60万人が来場。夜間、ライトアップを初めて実施
▽11月 慶長遣欧使節の足跡を訪ねる平成遣欧使節団、バチカンのサン・ピエトロ寺院でヨハネ・パウロ二世と接見
1994年
▽2月 サン・ファン・バウティスタパーク起工式
▽5月 第1回サン・ファン祭り開催
▽8月 サン・ファン・ジャズフェスティバル開く
1995年
▽2月 第2回平成使節団、メキシコ・アカプルコメキシコ上陸380年を記念しメキシコを訪問
▽9月 気仙沼にえい航
▽10月 仙台港にえい航
1996年
▽2月 帆船ミュージアムの愛称を「サン・ファン館」に決める
▽4月 東京港で一般公開し、34日間で約3万人が訪れる
▽8月 サン・ファン・バウティスタパークが完成し、サン・ファン館がオープン
1999年
▽11月 入館者50万人達成
2001年
▽9月 県とイタリア・ローマ県との姉妹県の議定書締結、復元船上で調印式
▽10月 新世紀・みやぎ国体出席のため県を訪問中の常陸宮ご夫妻視察
2002年
▽10月 台風21号の強風で復元船の3本の木製マストのうち高さ約28メートルのフォアマストが、上部10メートル部分で折れ曲がる。12月までに修復
2003年
▽10月 進水・完工10周年を記念し、船のマストに帆を張る展帆を9年ぶりに披露。その後も折に触れ実施【写真3】
2005年
▽3月 入館者が100万人を突破
2009年
▽10月 日本とメキシコの交流400年記念行事出席のため来日していたメキシコ在住日系人組織、日墨協会が来訪
2011年
▽3月 東日本大震災で津波被害。復元船は係留ロープとワイヤのほとんどが切断されたが、何とか持ちこたえた。サン・ファン館は海に面していた展示施設のほとんどを失う【写真4】
▽4月 強風で復元船のマスト3本のうち2本が折れる
▽10月 サン・ファンパークで、恒例の感謝デーを「サン・ファン復興祭り」と銘打ち、震災後の初開催
2012年
▽5月 破損したマスト修復用としてカナダ・ブリティッシュコロンビア州政府からベイマツとスギ材の計5本の寄贈を受ける
▽8月 地方自治法施行60周年記念硬貨のうち、宮城県の千円硬貨には仙台藩祖伊達政宗とサン・ファン・バウティスタ号のデザインを採用
2013年
▽11月 サン・ファン館が、被災したドック棟や強風でマストが破損した復元船の修復を終え再開。併せて式典とフェスティバルを開催【写真5】
2014年
▽5月 日本航海学会から公益財団法人慶長遣欧使節船協会にサン・ファン館再開館の業績で航海功績賞が贈られる
▽10月 入館者がオープンから17年で150万人達成
▽11月 石巻かきまつり、サン・ファンパークで4年ぶりに開く
2016年
▽4月 復元船が老朽化し、改修を施しても耐用年数は10年程度であることが判明。県は、今後の維持管理方法の検討開始
▽5月 震災再生プロジェクトの一環で11年に折れた復元船のマスト2本を長机と長椅子に再生
2017年
▽6月 村井嘉浩知事は復元船の修復を断念し、展示方法など今後のあり方を検討する方針を表明
2018年
▽11月 慶長使節船ミュージアムの今後のあり方検討委員会は、新たに造る後継船を「4分の1大」と「原寸大」とする2案を示す。復元船進水25年を記念したシンポジウムを開催
▽12月 後継船について、石巻市町内会連合会や市内9地区の区長会など10団体が原寸大での再建を亀山紘市長に要望
2019年
▽2月 今後のあり方検討委は、規模を現在の4分の1大とし、繊維強化プラスチック(FRP)製とする案を提示、県が了承。24年度をめどに建造へ
▽9月 サン・ファン号ファイナルプロジェクトの一環として企画展「サン・ファン号のすべて」を開催
2020年
▽2月 石巻市民有志でつくる「サン・ファン・バウティスタ号を保存する会」は、原寸大の保存を求める3307人分の署名簿を県に提出
▽5月 新型コロナウイルス感染拡大防止のため4月から行ってきた臨時休館を解除
▽9月 慶長使節帰国400年記念式典・シンポジウムを仙台市で開催
▽11月 帰国400年記念サン・ファン・バウティスタ出帆記念祭、偉業継承への誓い新たに【写真6】。21年度以降に解体される現在の復元船を彩る最後のライトアップ始まる

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