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震災から10年 演劇人群像 石巻を芝居の面白い街に

震災後、コマイぬを結成し活動する芝原さん(右)と菊池さん
2021年も俳優として芝居に挑む三國さん
コロナ禍にあっても演劇の可能性を探る矢口さん
「夢回帰船物語」再演に意欲的な都甲さん
20代コンビの大橋さん(左)とよしださん
野蒜地区住民と交流を図る福島さん

 「被災地・石巻」を「芝居の面白い街・石巻」に変えよう。東日本大震災後、30代を中心に始まった演劇による街づくり。よそ者もいれば、Uターン組もいる。事情はそれぞれ違うが、演劇にかける思いは一つ。昨年、襲った新型コロナウイルス感染症さえ逆手に取り、逆境を乗り越えようとするたくましさもある。震災から10年。芝居の面白い街づくりに奮闘する彼らに光を当てる。石巻の演劇人・劇団群像である。

■コマイぬ/夢は市民と一緒に

 震災後、石巻地方の演劇をけん引してきた。2013年に立ち上げた演劇ユニットで、代表の芝原弘さん(38)=石巻市出身=は、居住地の東京と往復しながら被災した古里に芝居を届け続けた。活動に共感したのが岩沼市出身の菊池佳南さん(34)=青年団、うさぎストライプ=。

 18年、2人は結婚。コマイぬの思い出の地、東松島市の蔵しっくパークで披露宴を開催。県内外から演劇仲間が祝福に駆け付けた。

 芝原さんは「別々に活動していた演劇人と、ここで知り合い、高校生とつながり、街とつながった。演劇文化の新しい潮流ができつつある。市民と一緒に芝居を創るのが夢」と語る。

 菊池さんは「震災、今はコロナ禍。自分は何ができるのか、何を変えられるのかを考えながら芝居と向き合いたい。今度は石巻、宮城から希望を発信したい」と話す。

 2年前、仙台市に移住。芝原さんは昨年11月に県芸術選奨新人賞を受賞。旧観慶丸商店(石巻市中央3丁目)を拠点にした「月いちよみ芝居」に力を注ぐ。芝居の面白い街づくりに、なくてはならない2人だ。

■俳優・三國裕子さん(70)/仙台で2月「咆哮」再演

 若いころは東京で柄本明や風間杜夫と共演したり、つかこうへい作品に出たりした。俳優人生を歩んで半世紀余。石巻地方にこんな大先輩の俳優がいるんだと若手演劇人らは仰ぎ見る。

 だが、本人にそんな意識はさらさらない。震災から10年になるが、志を同じくする者たちと一緒に街中で舞台を創りあげてきたことに喜びを感じてきた。

 「昨年は目が回るような忙しさだった。全く違う芝居に出た。奮い立たせてもらった」

 コロナ禍で何もできないと思っていた矢先、のぞき穴演劇で一人芝居を演じることになったり、古民家カフェで朗読に挑むことになったりと、引っ張り出された一年だった。

 ラジオ石巻では、2年前の「第4回いしのまき演劇祭」で上演した東日本大震災を題材にした「咆哮(ほうこう) <私たちはもう泣かない>」を朗読劇にして読み上げた。

 「芝居は、やって終わりでなく続くもの」

 震災後、石巻市内で生まれた演劇熱。33年前、古里に戻り一人芝居を立ち上げた時「自分しかいなかった」状況から想像できないことが今、起きている。先の言葉には後輩たちに受け継いでほしいメッセージが込められている。半面、若い世代に負けられないという意地もある。

 2月、仙台で「咆哮」を再演する。

■「R」代表・矢口龍太さん(37)/コロナ禍を逆手に企画

 昨年、演劇に関わる者としての意地を見せた。夏は1人の観客に見せる「のぞき穴演劇」、秋は開け放した古民家カフェでの朗読劇を企画した。

 演じる人ではなく、企画する人。「制約があればあるほど、やりがいを感じる、燃える」

 芝居や音楽などのイベント空間を創造する「R」の代表で、石巻地方の演劇にあって貴重な人材だ。

 震災がきっかけで、東京から古里・石巻市に活動拠点を移した。2017年1月のことだ。前年より始まった「いしのまき演劇祭」の実行委員会代表を引き継ぎ、第2回から3年間、演劇祭を盛り上げてきた。

 常にもっと面白くできないかとアイデアを巡らす。マンネリに陥ることを嫌う。第4回演劇祭で、参加団体が上演するそれぞれの作品に「秘密」というテーマを設けたのもそうだ。

 県外の劇団と石巻が接点を持つように仲介役を買って出る。19年夏には唐組が中瀬公園でテント公演するのを手伝った。行動派だ。

 「Rが発足して10年目になる今年を活動の一区切りとしたい。音楽が鳴り、役者が集まるイベントを考えている」

■演出、俳優・都甲マリ子さん(35)/「夢回帰船物語」実現したいな

 「石巻を芝居の面白い街にしよう」

 この合言葉を生みだすきっかけをつくった。震災があった2011年、ボランティアで石巻市に来た。東京都生まれ。石巻とは縁もゆかりもなかった。4年後、地元の劇団「スイミーは まだ 旅の途中」発足に関わった。翌16年「いしのまき演劇祭」実行委員会の初代代表になった。

 「トリコーレ音楽祭や川開き祭りなど市民参加型のイベントが街中で行われていた。演劇イベントがあってもいいのではと考えた」

 演出家だったり、裏方だったり、俳優として出演したりと、演劇による街づくりに何役もこなしてきた。昨年はコロナ禍の中の可能性としてバーチャル・リアルティー(VR)を利用した芝居に挑戦。11月には支倉常長を題材にした慶長遣欧使節物語の作・演出を手掛けた。サン・ファン館(石巻市渡波)の復元船を背景に野外で、地元4劇団をまとめて一つの舞台を創った。

 「復元船との共演がかなった。過去があり、今がある。未来につながる。今年は1993年に初演した『夢回帰船物語』に本格的に取り組みたい」

■20代コンビ よしだめぐみさん、大橋奈央さん/舞台美術も面白いよ

 昨年、20代コンビが誕生した。パフォーミングアーティスト・空間演出家よしだめぐみさん(23)=東京都出身=と俳優大橋奈央さん(26)=石巻市出身=。

 昨年5月、石巻市に移住したよしださん。若手クリエーターを支援する巻組(石巻市中央2丁目)のクリエーティブ・ハブ事業に参加したのがきっかけ。震災後「いしのまき演劇祭」やコマイぬの「月いちよみ芝居」などに出演していた大橋さんと出会った。

 「意見を言い合って、一緒に芝居を創りあげていく過程が楽しい、面白い」

 同世代だからこそ遠慮せずに、芝居に対する考えをぶつけ合うことができる。ハブのイベントで芝居を上演する一方、のぞき穴演劇にも参加した。11月には旧観慶丸商店(中央3丁目)で、よしださん脚色・演出、大橋さん座長の「いいよ、そのままで。」を上演。いすが足りなくなるほどの人気だった。

 舞台美術にも力を入れる。旧観慶丸商店の天井や柱に糸で蜘蛛の巣を張り巡らせた。よしださんは「観客の想像が広がる。舞台美術の面白さも伝えたい」と話す。20代コンビが石巻の演劇に新風を起こす。

■いしのまきの演劇を考える会・浅野初代会長/活動を活発に

 昨年、いしのまき演劇祭実行委員会に代わって、いしのまきの演劇を考える会が発足した。

 今年は演劇祭5回目という一つの節目。初代会長となったのは劇団「スイミーは まだ 旅の途中」で活躍する浅野将宏さん(28)。「何とか開催したい。今は全く環境が違う状況だが、市民に楽しんでもらえるように全力で頑張る。演劇活動を活発にしていきたい」と前を向く。

<劇団 奮闘>

 いしのまき市民劇団「夢まき座」は2011年、震災の夏に立ち上がった。市主催のイベント「カンタータ 大いなる故郷石巻」にも参加。舞台を通し市民に夢をまき、多くの人を巻き込みながら活動してきた。

 石巻市を拠点とする劇団「スイミーは まだ 旅の途中」は15年に始動。いしのまき演劇祭には第1回から参加。代表の町屋知子さん(29)は演劇が盛んな青森市出身。「水曜日のfika(フィーカ)」は石巻市と登米市の有志で結成。18年、演劇祭をきっかけに誕生した。

 震災後の14年から毎年、東京から駆け付け、石ノ森萬画館でミニ公演を開いてきたのが「劇団 球」。主宰の田口萌さん(55)がテレビ「仮面ライダーBLACK」に出演したのが縁となった。昨年はコロナ禍で石巻公演を断念した。

 演劇祭を通じて石巻と関わりが生まれたのが、仙台市を拠点とする演劇企画集団「LondonPANDA(ロンドンパンダ)」や東京の「うさぎストライプ」、「feblabo(フェブラボ)」。ロンドンパンダは渡波地区でワークショップを開催し住民との交流にも力を入れてきた。フェブラボは「石巻から逆に元気をもらった」と感謝。

 劇団「短距離男道ミサイル」(仙台市)、紅テントで知られる唐組(東京都)なども芝居の面白い街づくりに一役買った。

◇寄稿「野蒜の人たちと演劇を創る」 丸福ボンバーズ主宰・福島三郎さん

 岡山県に生まれ育った僕は、大人になるまで東京より北へ行ったことがありませんでした。縁もゆかりもない土地、それが僕にとっての東北地方、宮城県だったのです。

 僕にとって演劇とは何か。2010年、僕は悩んでいました。20代の頃に劇団が解散した後、舞台の劇作や演出、テレビドラマの脚本などでお仕事を頂けるようになり15年ほど経過した頃です。「演劇=仕事」こんな有難いことはありません。結婚もし、老いた母と同居を始め、娘も生まれ…まさに「仕事」の頑張り時、そんな時「仕事」に疑問を持ってしまったのです。

 お仕事である演劇は、全てが自分の思い通りに創れるものではありません。そこに関わるたくさんの人の思いや方針を汲んで創るわけですから、内容や劇場、チケット代金も自分のイメージとは違うこともあります。しかしその経験はすごく勉強になるし、新しい出会いや世界が広がったりするのはうれしいことなので、そういう演劇を創るのも大好きです。ただ、一つ違和感があったのが、自分の近しい人やお世話になっている人たちが客席にいないこと。つまり僕の悩みの本質は、僕は僕の演劇を誰に観せたいのか、ということだったのです。

 当面仕事を休み、保育園に通う娘の育児をしていた僕に劇団時代の座長から電話がかかってきました。休んでるんなら…と10年以上ぶりに座長の作品を手伝うことになりました。2011年の3月に幕を開けるその公演、プレビューを終えたところであの日を迎えました。公演中止を発表するカンパニーもたくさんある中、渋谷の劇場で幕を開けました。当然のようにキャンセルが相次ぎますが、なんとか当日券を買ってくださるお客さんのおかげもあって客席はほぼ満席。本番の舞台が行われている袖の楽屋では、崩壊していく福島県の施設がモニターに映し出されていました。日本が大変なことになっているのは一目瞭然でした。来られないお客さんがたくさんいるのは当たり前です。それでも来られる人のために公演をやっている。そうせざるを得ない事情も十分わかっています。でも…僕は、僕の演劇を誰に観せたいのか。…それは劇場に来られない人たちかもしれない。悩んでいたことの先がぼんやりと見えたのです。

 2018年の2月。僕は野蒜にいました。あの日の後、仲間たちと創った小さな劇団は縁をいただいて翌年から仙台でも公演をさせていただきました。最初のお客さんは3人。そこから少しずつ広がっていき、野蒜での公演になったのです。最初はまた3人くらいじゃないかと思っていたお客様が100人近くも入ってくださいました。演目は仙台四郎さんをモチーフにした作品「バカの王様」。お客様はすごく温かい笑顔と拍手をくださいました。80歳近いご高齢のお客様が「生まれて初めて演劇を観ましたが、大変素晴らしく面白かった」とアンケートに書いてくださいました。誰に演劇を観せたいのか、そこに答えがあったのです。

 2019年には野蒜の人たちと演劇を創りました。最初、ワークショップに来てくれたのはたった1人の少年。それでも3月の本番には数が増えました。そして2020年、宮戸島で演劇を創る機会をいただきました。新宮戸八景を題材にしたオリジナルの物語を地元の人たちと一緒に創ります。残念ながら新型ウイルスの流行で2020年の実施はなくなりましたが、僕は楽しみでしかありません。15年くらいかけて悩んで7年くらいかけて答えを見つけて…今さら1年待とうが2年先送りになろうが、「僕にとっての演劇」がここにある以上前進あるのみです。

 緊急事態宣言が出る前、中止になったワークショップの期間、学校もお休みになってしまった娘を連れて仙台、そして石巻と滞在しました。9年目の3月11日でした。中学生になった娘と一緒に献花場にも行けました。宮城県に縁もゆかりもなかった父ちゃんの、今、大事な場所だよと伝えました。「いいなぁ、私もまた来たい」。そう言った娘をとてもうれしく思いました。

 10年目の新しい年、僕の演劇でこの土地のたくさんの人の笑顔を観られたらいいなと思います。

※劇団「丸福ボンバーズ」(東京)

 仙台市の舞台関連会社boxes(ボクシーズ)の協力の下に、芝居の力で被災地とつながろうと、2018年から東松島市野蒜地区で住民との交流を進めてきた。

 昨年は福島さん作・演出で、宮戸島を題材にした創作劇の第1弾「里浜のアテナイ~新宮戸八景物語から~」を市民と一緒に創り、上演する予定だった。コロナ禍で中止になった。

野蒜地区の住民が観賞。丸福ボンバーズの朗読劇「さいごのなみだ」=2018年10月7日、野蒜市民センター

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