閉じる

3.11から 私の10年(18) 石巻市・野田和好さん

新型コロナウイルス対策として、救急車に施した感染防止措置を点検する野田さん=河北消防署桃生出張所

 2011年の東日本大震災から3月11日で丸10年となる。石巻かほくは11年6月11日から12年3月9日まで、被災体験を克明に記録した「私の3.11」を連載した。当時の巨大地震と津波を証言した石巻地方の被災者たちは、あの日を生き抜いて懸命に歩みを続ける。何を思い今、そして未来へと紡ぐのか。新たな軌跡を証言してもらう。(相沢美紀子)

   ◇

■石巻市伊原津1丁目、河北消防署桃生出張所所長 野田和好さん(51)

 当時勤務していた女川消防署で津波にのまれて2キロほど流された後、建物に飛び移り助かった。震災後、自然災害が頻発する中、新たな災害で犠牲者を出さないために、教訓を伝え、生かす使命感に背中を押された10年だった。

 津波に流されて右太ももに40針以上を縫う大けがを負い、4度の手術を受けた。幸い後遺症はなく、発生から3カ月を前に復職し、捜索活動に出た。

 直後の救助活動に駆け付けられなかったもどかしさから、一人でも、一つでも手がかりを見つけたい一心で探した。

 今もたまに流された時の夢を見る。震災直後は精神的に不安定になることもあったが、意識的に前を向くよう心掛けてきた。

 震災から1年後、石巻地区消防本部警防課に赴任した。震災を教訓に、消防本部は特別救助隊の全隊員が潜水士の資格を取得し、水難救助に潜水活動を導入した。そのマニュアル策定に携わった。活動範囲や機材の検討など業務量は多かったが、仕事に集中することで平静さを保てたのかもしれない。

 自分の経験が役立つのであればと、南海トラフの巨大地震で大津波が予想される高知県の四万十町と黒潮町や、北海道釧路市であった伝承活動などに語り部として参加した。ビルは屋上より上に逃げ場がないため高台を目指すこと、ホイッスルを吹き続けて救助されたことなど実体験に基づいて伝えた。

 記憶に向き合うことで苦しくなることもあったが、「自分たちも訓練する」「早速備えを見直す」などとわが事と捉えた感想や質問が相次ぎ、やりがいを感じ、前を向く契機になった。

 石巻地区消防本部は、職員357人中、3分の1が震災対応を経験していない。現在、災害対応に特化した経験者の教訓を若手に伝承する資料を本部として作成している。

 消防士になった時から「最悪を想定し、最善を尽くす」と教え込まれてきた。想定を上回る震災を経て、備えの大切さをより一層認識している。

 石巻地区消防本部では6人が殉職した。共に汗を流し、将来を語り合った先輩や同期たちだ。彼らの遺志を引き継ぎ、地域防災力の向上にまい進する。

<震災そのとき>
 女川港近くにあった女川消防署で被災した。高台への避難を呼び掛けながら消防車両を高台に移し、庁舎に戻った後、津波が押し寄せた。屋上に水位が迫り、地上16メートルのアンテナ棟によじ登ったが、漁船が衝突して水中に落下。流されながら家屋の屋根にはい上がり、押し波と引き波で2キロほど流された後、建物の屋上に飛び移った。避難していた住民と高台に向かって助けを求め、救助された。

石巻かほく メディア猫の目

「石巻かほく」は三陸河北新報社が石巻地方で発行する日刊紙です。古くから私たちの暮らしに寄り添ってきた猫のように愛らしく、高すぎず低すぎない目線を大切にします。

三陸河北新報社の会社概要や広告などについては、こちらのサイトをご覧ください ≫

ライブカメラ