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数字で見る、震災からの10年 暮らし・産業・行政など環境激変

石巻港に初来港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。交流人口拡大に向けて石巻市などは客船誘致を強化した=2018年9月18日

 東日本大震災による未曽有の被害は石巻地方の暮らし、産業、行政などのあらゆる環境を大きく変えた。約6000人もの犠牲者が出たのに加え、住宅再建の遅れで沿岸部から人口が流出。空前の規模の復興予算で自治体予算は膨らんだ。魚市場の取扱額や観光客も激減したが、インフラ整備が進むとともに回復傾向を示す。

 震災からの10年を数字で振り返った。

 

<人 口> 流出入 地区で増減

 石巻地方は震災後、人口分布が大きく変動した。沿岸部では住まいや仕事を失った住民が都市部や内陸部に移転した。石巻市雄勝地区は震災前の3割以下に減少。高齢化も進展し、石巻、河北、北上、牡鹿の各地区でも右肩下がりが続く。

 津波被害のなかった河南、桃生の両地区は沿岸部からの流入で人口が増えた。河南地区はピーク時で約2300人増。桃生は2015年、河南は17年から減少局面に戻った。

 東松島市矢本地区は集団移転団地への市内他地区からの移住が進み、16年に震災前を上回ったが、その後は減少傾向が続く。鳴瀬地区は流出が激しかったが、野蒜ケ丘団地の完成で18、19年は増加に転じた。

 女川町は震災前から4割減ったが、減少ペースは鈍化している。

 石巻地方の21年1月末の人口は21万6094人。震災前より13.7%少ない。

 

<予 算> 規格外規模で推移

 2市1町の一般会計当初予算は復興関連事業を軸に「規格外」の規模で推移した。2020年度までの第1期復興・創生期間の完了で従来規模に戻りつつあり、今後は身の丈に合った財政運営が求められる。

 最大被災地・石巻市の通常予算枠は600億円台だが、震災翌年の12年度は過去最大の2600億円で編成。次年度以降も2000億円前後となったが、復興事業の進展とともに縮小し、21年度は700億円台を見込む。

 東松島市もピーク時の15年度は660億円に達し150億円規模の11年度の4倍を超えた。防災集団移転や災害公営住宅、小学校災害復旧事業なども終え、新年度は200億円を切る。

 11年度は60億円台だった女川町は17年度に500億円を突破。被災市街地復興土地区画整理や防災集団移転などを進めた。21年度は100億円を切る見通しだ。

 

<市 場> 機能回復 持ち直す

 震災で石巻、女川の両市場は壊滅的な被害を受け、2年間の取り扱い実績は大きく落ち込んだ。

 石巻は10年に180億円を突破したが、11年は43億円、12年も94億円まで落ち込んだ。15年9月の魚市場全面復旧で機能が回復。17年には9年ぶりに200億円台を突破した。

 10年に81億円を記録した女川も11年は14億円、12年は43億円と大きく低迷。それでも13年以降は順調に推移し、14年には震災前を上回る87億円を記録した。全面復旧した16年以降は安定している。

 2010年1月に石巻市門脇元浦屋敷から東松島市赤井に移転開場した石巻青果花き地方卸売市場。11年はライフラインの復旧後、3週間で営業を再開。減少を10年の162億円から149億円にとどめ、12年には早くも160億円台に回復。16年には開場以来、初の180億円を突破した。

 

<観 光> 激減も改善が加速

 観光客は、沿岸部の観光施設が壊滅的な被害を受けるなどしたため激減。この10年で集客施設の整備や大型イベントの開催も進み、改善が加速している。

 石巻市は震災の2011年は前年比で100万人も目減りしたが、観光関連事業の積極展開で13年には200万人台に回復。18年のいしのまき元気いちばなど、官民それぞれに新施設を相次ぎオープンさせた。大型クルーズ船の寄港や、リボーンアート・フェスティバルが効果的に後押しする。

 東松島市は海水浴場が開設できず、震災前の100万人台から数十万人台に低迷。県が整備した観光トレッキングの宮城オルレ・奥松島コースなどを活用し、観光客を呼び込む。

 女川町は震災で3万人台まで激減したものの、JR女川駅を中心に女川温泉「ゆぽっぽ」の再開、駅前商業エリアの開設で通年観光の基盤を整えた。

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