島田さん逝く 苦労と悲哀、ユーモアに包んで 歌壇・俳壇投稿者

ひ孫に囲まれ笑顔を見せる島田さん=2016年8月、宮城県山元町

 「ペンを持ったまま天国に行きたい」。そんな最期だった。東日本大震災10年を目前に、島田啓三郎さん(95)=宮城県山元町=が眠るように逝った。90年の歴史がある河北歌壇・俳壇の中で最も愛された投稿者と言えるだろう。人を、妻を、農を愛し、老いや悲哀さえも時にユーモアで包み、実直に詠んだ歌や句が多くの読者を引き付けた。
 農家に生まれ、太平洋戦争末期、旧海軍入り。戦友の非業の死を目の当たりにした戦争。自宅、イチゴハウス、農地と全てを流された震災。二つの災厄を乗り越えて詠まれた歌には、生への真摯(しんし)な姿勢と慈愛がにじみ出ていた。
 <生きねばと仮設の隣り荒地借り季節後れの野菜種まく>(2011年7月31日)
 農民の意地、生き抜く覚悟が見て取れる。投稿は震災の4カ月後。当時85歳、避難生活で足が悪く認知症を患う妻の介護中だった。長男の妻幸子さん(64)は「自分がしっかりしないと駄目だと奮い立たせていた」と振り返る。
 21年2月、専門誌「短歌研究」3月号に島田さん特集が載った。河北歌壇選者佐藤通雅さん(78)が選んだ50首と「河北歌壇の十年と『島田さん』」と題した記事計8ページ。震災特集とはいえ異例だった。
 島田さんの投稿が途絶えた際の読者の反響を伝えた昨年11月の本紙記事を見た編集発行人国兼秀二さん(58)が企画。「島田さんの話がなければ魂のこもらない特集になった」と死を悼んだ。
 島田さんは再開を望む読者の声を知ると昨年12月、片方の目が見えず、手が震えて字が書けない体で1年ぶりに投稿。死の直前まで詠み多くの被災者に生きる力を与えた。
 短歌研究を見て「ありがたいことだ」と話した後、食と言葉が一気に減り、6日後に死去。同誌はひつぎに納められた。弔辞を読んだ地元の友人阿部修久さん(80)はこんな歌を河北歌壇に寄せた。
 <島田さん遺影が語る俺達に歌の灯を消すなとそぼ降りし雨>
(宮田建)

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