津波の跡で 災害危険区域3167㌶―活用の道(1)農業 パプリカ一大産地に
東日本大震災で災害危険区域に指定された移転跡地の活用が、被災自治体に重い課題としてのしかかる。津波の記憶とリスクが残る土地をどう生かすか。更地の状態が続く一帯で、なりわいや交流の場に姿を変えた地域がある。新たな価値を生み出す跡地を歩いた。(「津波の跡で」取材班)
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石巻市北上地区の新北上川沿いで、大型のガラスハウスが存在感を放つ。地元事業者らが設立した生産会社「デ・リーフデ北上」が被災跡地約4ヘクタールを借り受けて整備した。うち2・4ヘクタールでトマトとパプリカを生産する。
鈴木嘉悦郎社長は震災前、会社経営とコメづくりをしていた。「生き残った者として、この地で新しい産業を興さなければいけないと感じた」と振り返る。
<先端技術で管理>
施設園芸の先進地・オランダの栽培技術を活用する。温度や湿度、肥料や水やりなど全てをコンピューターで管理し、一年を通し安定、効率的に栽培する。
従業員50人の多くは農業未経験者ながら、10アール当たりの年間収量はトマト45トン、パプリカ23トンとそれぞれ国内トップクラスを誇る。次世代型の生産方式として全国から視察が相次ぐ。
販路は県内や首都圏などに広がる。5月末には川向かいの旧大川小近くに第2工場を増設した。鈴木社長は「第3、4工場も建設し、被災した北上、河北地区をパプリカの一大産地にしたい」と意気込む。
被災跡地の特性を生かした野菜栽培も芽吹いた。東松島市牛網地区の「よつばファーム」は、約4・7ヘクタールのビニールハウスや露地栽培でサツマイモや白いトウモロコシ、カボチャなどを育てる。
地元農家の熱海光太郎さん(47)が2012年秋に設立した。津波に襲われ、手つかずのまま荒れていく古里の姿に危機感を持った。借り手のない宅地、農地跡を積極的に受け入れた。
<付加価値高める>
だが、砂を入れて重機で造成した被災跡地は養分が少なく、水はけが悪かった。借りた土地は20カ所以上に点在するため、作業効率も上がらない。熱海さんは「試行錯誤の繰り返しだった」と苦笑する。
やせた土地を好むサツマイモや生命力が強く流通量の少ない白いトウモロコシは市場のニーズにもマッチした。サツマイモは流通・販売業者と協力し、「伊達娘さつまいも」の商標でブランディングに取り組む。収穫後に追熟させるなどして付加価値を高め、スーパーや青果店の評価も高い。
意欲のある若者を育て、農業の輪を地域内外に広げることを目標に掲げる。20代の社員2人やアルバイトのほか、障害者らも就労訓練などに通う。熱海さんは「人が育てば農地も活用されていく。いつも誰かが作業をしている風景が理想」と未来を描く。