赤井官衙遺跡で発掘調査説明会 最大級の建物跡発見 東松島

学芸員(手前)の解説に耳を傾ける参加者

 東松島市教委は、東松島市の国史跡「赤井官衙(かんが)遺跡群」の発掘調査説明会を東松島市赤井関下の調査現場で開いた。9月1日に始まった調査で、これまでに倉庫とみられる大型の建物跡の発見や、古代の役所などとして使用されていた地区が遺跡群の西側にも広がる可能性があることなどを発表した。調査は11月末まで続く見込み。

 遺跡群は、約1300年前に陸奥国牡鹿郡(現在の石巻地方)を統治する役所「牡鹿郡家(ぐうけ)」と、蝦夷(えみし)支配の軍事施設の城柵「牡鹿柵(おしかのさく)」の跡とみられる。大きさは東西約1.7キロ、南北約1キロ。7世紀に上総国(かずさのくに)(千葉県)から移り住んだ丸子氏(後の道嶋氏)一族が代々長官を務め、古代東北随一の豪族に成長した。

 10月23日にあった説明会には地域住民や歴史愛好家など約20人が参加。奥松島縄文村歴史資料館の学芸員重森直人さん(38)が調査結果を解説した。

 これまでに、南北6.6メートル、東西6.3メートルの大型の建物跡を発見した。柱を立てる穴の数や規模の大きさ、地面を整地した形跡から、7世紀ごろに重要な目的で使われていた倉庫とみられる。遺跡群から同規模の建物跡が見つかるのは初めて。

 倉庫の建設資材を作る工房か兵舎とみられる建物跡や、関東地方に由来する土器、牡鹿郡家時代以前の建物跡も出土した。重森さんは「建物の跡が少し西側に傾いていたことから、測量技術が根付く前の時代のもの」と説明した。

 調査によると。遺跡群の西側地区には郡家などの中心施設跡がある可能性も高いという。

 菅原弘樹館長(59)は「遺跡は歴史の表舞台に残るほど貴重なもの。価値や調査の意義を住民の方々に広く知ってもらいたい」と話した。同館では「今後も機会や要望を捉えながら情報発信していきたい」としている。

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