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寄稿>若宮丸漂流民の上着、津波逃れた貴重文化財

若宮丸漂流民の多十郎がロシアから持ち帰ったとされる上着を見る著者
特別展会場の吉村昭記念文学館

■石巻若宮丸漂流民の会 事務局長 大島幹雄氏

<多十郎の遺産、特別展「吉村昭と東日本大震災」で展示>

 現在、東京都荒川区の吉村昭記念文学館では、特別展「吉村昭と東日本大震災」が開催されている。ここに奥松島縄文村歴史資料館に保存されている若宮丸漂流民多十郎がロシアから持ち帰ったといわれている上着が展示されている。15日まで。

 この上着を展示したらどうかと記念文学館に提案したこともあり、どのように展示されているのか気になり、先日記念文学館を訪ねた。

 展示は大きく三つに分かれ、上着は「『三陸海岸大津波』-取材と調査-」、「『関東大震災』-取材と調査-」に続く、「東日本大震災以後」というコーナーの中に展示されていた。

 なぜここに220年前の漂流民のものが展示されているのか。

 『石巻学』6号に掲載された「紺色の上着の行方」という拙文で詳しく紹介しているが、ここに吉村さんと石巻を結び付けるエピソードが秘められている。

 この上着は東松島市室浜にあった多十郎のご子孫に当たる奥田家で保管されていた。吉村さんは若宮丸漂流民を取り上げた著書『漂流記の魅力』の取材のため奥田家を訪れ、この上着を見ていた。吉村さんは2005年に鳴瀬町の招請で講演会をしているのだが、上着に再会し、あまりの劣化に衝撃を受ける。地元の郷土史家から多くの人が手に取って触ったからでしょうとその理由を知った吉村さんの表情がゆがんだ。この時私も同行していたので、吉村さんの悄然(しょうぜん)とした表情をよく覚えている。吉村さんはこの数カ月後、ある月刊誌に「紺色の衣服」と題されたエッセーで、自分も触った一人として、この劣化に責任がある、ただ何とかいい状態で保存してこの大事な遺産を伝えられないだろうかと訴えた。この一文が鳴瀬町を動かし、上着は縄文館で大事に保存されることになったのだ。

 この報(しら)せを吉村さんに伝えると、すぐにファクスで返事が送られてきた。

 「他処者である私が、つい、保存をと申し上げたのですが、それをお取り上げいただいた漂流民の会の方々の寛容さに心から敬意を表します。漂流民の持ち帰った唯一のもので、町の文化財指定によりあの衣服が燦然(さんぜん)とした輝きを放ち、後の世に伝えられます。皆さまに感謝します」

 「後の世に伝えられます」、この言葉の奥深い意味を私たちが知ることになるのは、3・11の震災の後だ。津波は室浜を流し尽くし、奥田さんもご家族の方はみな無事だったが、家も家財も流されてしまった。ただ、その中に多十郎がロシアから持ち帰った上着は含まれていなかった。吉村さんのあの一文により町の文化財となり、縄文館に保存されたからだ。

 展示ではこの上着の他に、吉村さんから私に宛てられたファクス、鳴瀬での講演メモ、さらに『石巻学』全6冊などが展示されている。こうした展示によってほとんど知られていない吉村さんと石巻との結び付きが明らかにされたということで大きな意義を持つ展示になったと思った。この展示を見て、石巻を訪れたいという吉村ファンもいるとのことである。

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